『ちびトラとルージャ』マウゴジャタ・ムシェロヴィチ/田村和子(訳)

 

ちびトラとルージャ

ちびトラとルージャ

  • 作者: マウゴジャタムシェロヴィチ,Malgorzata Musierowicz,田村和子
  • 出版社/メーカー: 未知谷
  • 発売日: 2014/02/01
  • メディア: 単行本
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人びとはやってきて、物語を語り、成長し、次の世代に舞台を譲ります。


ポーランドの大都市ポズナンのイエジッツェ地区に暮らす人々の物語、イエジッツェ物語シリーズは、この本が出た2014年現在ですでに19作あり、もう35年も続いているのだそうです。
邦訳されているのは、そのうち7作。抜けた櫛の歯のように間が空いているので、シリーズを続けて読んでいると、ときどき、あれ、いつのまにそんなことになっちゃった?と思ったりする。(でも、読んでいるとだんだん経緯がわかってくるので、どの巻からでも安心して読める)
少年少女だった曾ての主人公たちは、成長し、やがて、脇役に引っ込んだり、新しい主人公たちを見守る側の大人に変わっていく。
この本のタイトルになったちびトラ(本名はラウラ)とルージャ(あだ名はプィザ=おだんごちゃん)は、最初、ボレイコ家の赤ちゃんとして登場し、すくすく育っていたけれど、この巻では、17歳(ルージャ)と14歳(ちびトラ)になっていることに、びっくりしている。


息のながいシリーズは、ポーランド社会の移り変わりを、ぼんやりと見せてもくれる。
たとえば、10作目(邦訳5作目)『ナタリヤといらいら男』では、カップ一杯の牛乳の値段が二万ズロチ(!)だった。1994年の夏の話である。
この本『ちびトラとルージャ』は、1999年。ちびトラが、駅の売店でジュースを買う場面があるが、この時彼女は、ポケットのなかに持っている2ズロチの中から代金を払っている(2ズロチでお釣りがくる)


ちびトラは、迷路のどん詰まりのようなところでじたばたしている。
印象的なのは、反抗していた母の愛読書を、こっそり持ちだしたこと。いろいろと思惑があるのだけれど、それでも、ちびトラが自分の道連れに母の本を選んだことに、柔らかなものを感じていた。


ちびトラの華々しい激しさにハラハラする一方、堅実な(そう見える)ルージャのなかで、いま起きていることも気になる。
おなじみの登場人物たちの身の回りでも、いろいろ変化が起こりつつあり、見逃せない。
大人も子どもも完璧な人なんてひとりもいない。転がり、擦れ、ぶつかったりへこんだり。固さやデコボコ加減、そこそこのみっともなさ、ごちゃごちゃがそのまま心地よい。

ちびトラたちの祖母バービと叔母ナタリヤが、「あの世で一番会いたいと思う(文学のなかの)人」を、ゲームのように挙げあうところ、楽しかったな。出てくる出てくる、次から次に出てくる作品名や登場人物名についていけず、舌を巻いていた。


家族や友人たちが、なんのこともなく、ふらりと寄るボレイコ家のキッチンの描写も好き。
「興味深いことに、この家族は心配事を抱えると決まってキッチンにやって来てテーブル脇に腰を下ろす。大きく、重く、がっしりとした脚のテーブルそのものが、それともキッチンそのものが家族の心を開かせる不思議な力を持っているのかもしれない」
笑みがうかんでくる。(わたしには、このシリーズが、そのまま大きなテーブルだ。)