『ノロウェイの黒牛』 なかがわちひろ(文)/さとうゆうすけ(絵)

 

ノロウェイの黒牛 -イギリス・スコットランドのむかしばなし (世界のむかしばなし絵本)

ノロウェイの黒牛 -イギリス・スコットランドのむかしばなし (世界のむかしばなし絵本)

 

 

上のむすめは、せめて伯爵と結婚したいといって、六頭立ての馬車で迎えにきた伯爵の花嫁になった。
中のむすめは、せめて男爵と結婚したいといって、四頭立ての馬車で迎えにきた男爵の花嫁になった。
末のむすめは、「わたしはノロウェイの黒牛でもいいわ」といった。
怪物のような大きな黒牛がむすめを迎えにきたとき、驚いて、むすめは隠れてしまったが、やがて、嘆き悲しむ母親をおいて、黒牛の背中に乗っていった。


イギリス・スコットランドのむかしばなしである。
「あとがき」で、なかがわちひろさんは言う。
「むかしばなしは、長い年月をかけて口づてに育まれてきたものです。
語り手がその場の気分で大げさにしたり、時の権力をあてこすったりと、時代や地域によって少しずつ変わっていく物語」である。
あるいは、あるむかしばなしを、全く知らない物語と思って聴いていると(あるいは読んでいると)別のむかしばなしにずいぶん似ている、と感じることが、ときどきある。創作物語なら「なあんだ、それ知っているよ」と、ちょっとがっかりするだろうに、むかしばなしなら(口づての物語だから)むしろ話が似かよっていることがおもしろい。おもしろい話は何回でも聴きたい、と思うしね。
そんなわけで(?)このおはなしも、あらすじだけをみれば、やっぱり、どこか似たようなお話が思い浮かぶ。でも、この読み心地は心地いい、と感じるし、他とはちがう、このお話独自の魅力がある。
黒々とした森、切り立った崖、暗い夜。大きな黒い牛。
小さな木の実のなかに籠る、明るい幻想的な光景。


末のむすめは、多くの困難を乗り越えなければならなかったが、ちゃんとやり遂げた。
それは、彼女がほがらかなむすめだったからじゃないだろうか。
美しさは、どっちでもいいけれど、ほがらかな気質は宝だなあ、と思う。


絵本の画面は暗い色が続く(夜、森…)が、そのなかに、白っぽい人物や灯ったあかりが浮かび上がり、美しい。
「木の実を割る」場面、心がはりさけそうになっているむすめの姿と重ねて描かれていて、割れたのはまさにむすめ自身なのだ、と感じている。(木の実の中身はなにを意味しているのだろう)
もじゃもじゃの毛の猛々しい黒牛の姿がのしかかるように描かれているが、最初に登場した時から目をひくのは、牛の瞳だ。澄んだ青の瞳の美しさが印象的だった。