『おらおらでひとりいぐも』 若竹千佐子

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞


「何もかもが古びてあめ色に染まった部屋」だ。張られた一本のロープには、夏服冬服がごっちゃにぶら下がっている。干し柿までぶらさがっている。
そこかしこでネズミが徘徊する音か聞こえる。
そこで、七十四歳の桃子さんがひとり、お茶を飲みながら、「あいやあ、おらの頭このごろ、なんぼかおかしくなってきたんでねべか」なんて考えている。
桃子さんのなかにはたくさんの桃子さんがいて、それぞれ人格(?)をもっていて、東北弁でやたらしゃべりかけてくる。それぞれの桃子さん同士が、討論みたいなことを始めたりもする。
桃子さんは、大勢の桃子さんたちを「小腸の柔毛突起のよでねべか」という。柔毛突起みたいな衣装をつけた大勢の桃子さんが、本体の桃子さんの後ろでわさわさしている姿が目に見えてくる。舞台劇を見ているようだ、と思う。


桃子さんは、まだ若い時分に夫を病気で亡くしている。二人の子はとっくに家を出て、少し疎遠になっている。
気楽に訪問し合えるような知己もなく、一人でいる桃子さんの独り語りだ。
寂しい・・・
と簡単に言っちゃいけない。
寂しくなければ、開かない扉もある。
どこかの暗い奥のほうから、沸き上がってくる笑いが、何かに(何に?)自分を綱ぐ細い綱を、ぶちぶち切っていくようだ。
夫の死、子と自分が疎遠でいる事、遠い日の親と桃子さんの関係、故郷の山のこと、来た道行く道。
大勢の柔毛突起桃子さんたちは様々な方向から様々なことを言う。勝手なことを言う。それ全部桃子さんだ。
なんとなくしみじみとして手を打って終わりにしたいような会話(桃子さん同士の)の間から、ぎょっとするようなことをポロリというやつが飛び出す。
それを言ったら・・・と思わず引きそうになるその突起桃子の言葉を本体桃子は聞き逃がさない。
生活の忙しさや華々しさに流されて、蓋をして見ないふりをしてきたものがなかったか。蓋したものはなんだろう。なぜ蓋しなければならなかったのだろう。
大勢の桃子さんの声は、わたしのなかからも聞こえている?


柔毛突起をぞろぞろ引き連れた桃子さんの言葉を読んでいるうちに、なんだか見えるものの色が変わってきたような・・・
そもそも東北弁。
土のなかから湧き出でるみずみずしい力に満ちた言葉、
あっけらかんとした明るさを湛えた言葉、
桃子さんの東北弁にはそんなイメージがある。


いきなり「マンモスの肉はくらったが」という言葉が出てきて面食らう。
それは、はるか昔(なにしろマンモス!)の桃子さんのご先祖のことだ。
ぞろぞろ、ぞろぞろ、とそのあとの時代に続く先祖たちの連なり。
なんて賑かなんだろう。賑かなのになんて静かなんだろう。なんて明るいのだろう。
もう幸せとか寂しいとか、そういうことはどうでもよくなる。ただ生きて生きて、あとのものにバトンを渡して行った先達たちの姿が輝かしく見える。
その尻尾のほうに桃子さんがいる。最後尾にいるのは、孫のさやちゃんか。
「春の匂いだよ。早くってば」さやちゃんの声で終わるのがしみじみうれしい。