『すべての美しい馬』 コーマック・マッカーシー

すべての美しい馬 (ハヤカワepi文庫)

すべての美しい馬 (ハヤカワepi文庫)


生まれたときから馬に親しんできたが、そういう風にではなくあたかもかりに不運と何者かの悪意によって馬のいないおかしな土地に生まれていてもどうにかして馬を発見していたであろう
という風に馬に乗るジョン・グレイディ・コールは、テキサスの牧場で生まれて牧場で育った。
いま、牧場主の祖父が亡くなり、牧場は売られようとしている。16歳のジョン・グレイディにそれを阻止することはできない。
だから、彼は、親友のロリンズとともに、それぞれの愛馬に乗って家を出た。
ハイウェイを越え、川を渡ってメキシコへ。
生きる技術も力も持ち合わせた若者たちなのだ。
彼らを見ていると、私たちの暮らしの窮屈さを思い知らされる。ハイウェイを渡ることで、彼らは現代的な暮らしから、別の世界に渡り切ったのかもしれない。馬とともに生きられる場所を目指して。


鹿やウサギを狩る森。野生馬を馴らし、火を焚いて弁当を食べる地卓(メサ)。
道中思いがけなくできた道連れ。
メキシコの牧場で牧童として働く喜び。
最初から悲恋が予想される恋にはメキシコの近代史まで絡まって、おもしろい。
とんでもない事件に巻き込まれた時には果たして切り抜けられるのかと息を詰めた。
そうして、彼は、大人になっていく。


素晴らしいのは、馬と少年の関係だ。
少年が馬に乗るときには、二つの身体はまるで一つになったよう。
少年が馬の肌をなで、たたき、言葉をかけるとき、安らかな馬の体温や息遣いが伝わってくるようだ。

地卓(メサ)の上にいるまだ野生のままの馬たちは二本足で歩く人間というものをまだ見たことがなく彼のことも後の生活のことも知らないが、その馬たちの魂の中に彼は永遠に住みつきたいと思った
「馬たちの魂の中に彼は永遠に住みつきたい」というよりも、むしろ彼の中に馬の魂が住み着いているようだ。
残酷な無法地帯に囚われたときも、ここで彼を生き延びさせたのは、彼の中にいる馬の魂のような気がするのだ。
狡さ残酷さ、愛情や憎しみ、暗い怒りなどに翻弄されざるを得ない人間たちの物語があるから、馬と人との純な繋がりが、ひときわ輝く。


出会った人や馬たちの、一瞬一瞬が牧歌的ともいえる絵になって浮かび上がる。人は染み入るような笑顔で。
かけがえのない美しいもの、善いものが、ぽつりと胸に留まる。
そう思うのは、深い悲しみや痛みが伴う物語だからだ。逃げ場のない寂しさと隣り合わせだからだ。