『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』 穂村弘


まみは本当はどこにいるのだろう・・・
確かに、まみはいるのだ、とんでもないリアリティを持って。
この本のページをめくった瞬間から、「まみ」という不思議な娘は、私の中に住み始める。
もしかしたら、人間の娘ではないのかもしれない。妖精なのかもしれない。
澄んだ音色を響かせながら、気ままに飛び回る妖精のような娘が、わたしのなかに引っ越してきた。ウサギ連れで。


歌集なのだ。
「まみ」が、歌人穂村弘に、短歌で手紙を書く、という形。
では、穂村弘がまみなのか。穂村弘がまみをうみだしたのか。
違うと思う。まみは、やっぱり引っ越してきたのだ。どこかから、穂村弘のなかに。


短歌であり、手紙でありながら、そのときどきの心模様が、まるで物語のように読み取れたりもする。
歌集の読み方なんてわからないから、物語を読むように読んでいる。
ときどき、ドキッとして、その歌に蓋をしたくなったり、
両手で水を掬うように、小さな娘の体をそっとこの手に掬いあげてやりたい、と思ったり、
ころころと変わる気分を、鮮やかな色の氾濫みたいだと感じて、くらくらする。目が回る。
遠くにあるもの、近くにあるもの、むしろ、私の内側にあるもの・・・歌を詠みながら、まみの存在感を、いつのまにか仕分けしている。


わたしがいいな、と感じた歌をいくつかとりだしてみる。
「サムライが天気予報を聴きながら描いた渦巻き、天国は夏
「『ウは宇宙船のウ』から静かに顔あげて、まみ、はらぺこあおむし
「ティーバッグやぶれていたわ、きらきらと、みんながまみをおいてってしまう
「さようなら。人が通るとピンポンって鳴り出すようなとこはもう嫌
「ぴかぴかの蜘蛛のめんめの表面が艶消(マット)になるよ、死んだ瞬間
「ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち
「いま、まみは、踊りつかれて(あれ、みなさん静止してたんですか)ねむるの
「もう、いいの。まみはねむって、きりかぶの、きりかぶたちのゆめをみるから
「くぐり抜けるジャングルジム、白、青、白、青、ごくまれに赤
「夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう


この歌で、おしまいにします、ね。
今は十月だから・・・
「十月よ。ブラッドベリに日本のつけもの(tsukemono)たちを送ってあげる」