『愛するものたちへ、別れのとき』 エドウィージ・ダンティカ

愛するものたちへ、別れのとき

愛するものたちへ、別れのとき


>私がこの本を書いたのは、大切な先祖たちと新しい生命とに敬意を表し、正義を要求し、世界中の移民たちの窮状に目を向けてもらうためでしたが、同時に私は、この本を読むことが読者のかたがたにとって喜びであるようにと願っています。
巻頭の『日本の読者への手紙』の一節である。これは、この本の内容のとてもスリムな要約でもある。
読書のあとで、この一文を取り出しながら、大切な先祖たちに、新しい命たちに、そして、正義にも移民たちの窮状に、思いを馳せつつ、そうしたことを伝える言葉そのものに、また、その言葉の中にぎゅっと詰め込まれた沢山の物語に、抱きしめられたような思いでいる。
多くの悲劇、苦しみを知ってなお、心に残るのは、静かで動じない魂、深い愛情の絆、寛容、叡智・・・言葉にするのは難しい。
激しい嵐が吹き荒れるなかに、黙って立ち続ける大きな樹の物語のようだ。 この物語は喜びだ。


肺繊維症で苦しむ父の命がそう長くはないことを知った同じ日に、著者は自分が妊娠していることを知る。
尽きようとする命と、生まれようとする命が、ともにカウントを始めるようだ。
父も著者もハイチからの移民である。
著者が幼いころ、父が、続いて母がアメリカに移住し、著者はすぐ下の弟とともに、12歳になるまで伯父夫婦に育てられた。
著者は二人の父を持つのだ。
親族の絆は固く、ことに伯父の受け入れの大きさ、愛情の深さが沁みてくる。


ハイチという国のことを私は何も知らなかった。箇条書きにしただけで、一冊の重たい本になりそうな複雑な近代史。
普通に暮らす人々のふつうは、正義などあてにできない(いつ人権も財産も命も奪われても不思議ではない)そういう普通である。
「もしも私たちの国が機会を与えられて他の国と同じようになれたなら、私たちのうちだれ一人としてここで生き、ここで死にたいとは思わないだろう」
ハイチからアメリカに移住した一人の言葉。なんと苦々しい言葉、そして、精一杯の望郷の思いでもある、と感じる。
2004年の首都ポルトープランスの暴動の場面では、アディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』(感想)を思いだしている。
怒り、憎しみ、恐怖。この残酷で激しい暴力の嵐は、人間の集団というより、もはや黒い塊にしか見えない。
その黒い塊が、『半分のぼった黄色い太陽』と重なるし、ポグロムや水晶の夜なども思いださせる。
・・・土地も年代も民族も超えて、人間たちは、なんてよく似ているのだろう、と震撼とさせる。ひとたび状況が変われば、どこででも起こることのような気がする。これが裸の姿だろうか。人間の姿だろうか。
そして、何もできずにただ震えて嵐が過ぎ去るのを待つばかりの人々。あまりに弱い人と人の絆。


物語には多くの死が描かれる。
病気で、老衰で、または暴力や無理解により街路で、牢獄で、著者の大切な人々は死んでいく。
死は静かにやってくる。
生きていくことはすなわち一歩一歩死につつあることなのだ、と噛みしめつつ、不思議な感覚が満ちてくるのを感じる。
死を見送る悲しみは悲しみとしてあるのに、同時に「死」を受け入れる準備もできているのを感じている。
死と一緒に「誕生」が浮き上がってくるのを見つめることがそうさせるのだろう。
死につつある命は、他の命を誕生させる命なのだ、ということを強く意識させられる。
「誕生」は、文字通り赤子の誕生の意味でもあるけれど、それだけに留まらない。
わたしが激しく心揺さぶられたのは、
「パパ、男の人は生命を産むことはできないけれど、パパは今夜産んでくれたわ。私を」という言葉。


ハイチという国がどういう状態にあるのか、そして、亡命を求める人たちを他国がどのように扱うのか(そのくだりの章題だけをあげれば「恥辱」「在留外国人二七〇四一九九九号」「苦しみ」・・・)あまりに惨たらしい現実を見せつけられるのである。
けれども、そうした、まるで掃きだめのような現実以上のリアルさで、死ぬ運命と誕生させる運命とがらせんのように巡り、まるで美しい花のようにすっくりと立ちあがるような気がする。
静かな喜びが湧き上がってくる・・・