『夜と薔薇』 森雅之

夜と薔薇―森雅之自選作品集

夜と薔薇―森雅之自選作品集


いつか、この本の感想をちゃんと書いておきたい、と思っていたけれど、大切な本のことを改めて書くのって難しい・・・


『夜と薔薇』は、35年前に出版された。若き日の、森雅之さんの自選作品集。
瑞々しく、ときどき荒っぽくて、それでいて、壊れそうなくらいに繊細で、面はゆいような、純粋な美しいエネルギーを感じる。


「序」の出だしには、こんな風に記されている。
「僕は手紙のような漫画を書きたい。
 手紙のように嬉しいものをかきたい」
そう、この本は、まるごと森雅之さんから届いた手紙のようだ。
でも、森雅之さんの手紙は、どんな手紙だろう。


この場所にいて、アラスカの氷山の陰、アラビアの砂漠の地平線のかなたに煙が立ち上る様を思い浮かべたことはないか。それはどんな煙なのか、と考えこんだりはしないだろうか。
また、雨の日に濡れて光る石ころの美しさに見とれたことはないだろうか。
道端に立つ電柱が遠目に、立っている人に見えたことがないだろうか。それがそのまま、ずっと忘れられない光景になったり。


この本を読んでいると、身近にある、あるいは自分の身内にある、ありふれた(と思われる)ものが、実はかけがえのない美しいものであることに気がついたりする。
そういうものを持って居る(気がついて知って居る)ことの幸福がしみじみと湧き上がってくる。
たとえば、そうだ、どこにでもあるような石ころが、濡れた時に美しく光ることを発見したときのような嬉しさ。


――そういうものがあることをつつましやかに知らせてくれる手紙。


この手紙(のような漫画)をかいたのは、やさしい詩人(あえて詩人と呼びたい。)――微風にのって夜な夜なおくられてくるロマンチックをキャッチするアンテナをもっっている。
森さんの手紙はとおくから、空気をつたって、テレパシーみたいに届く。
森さんの手紙は、夕方、明るい星のありかをさししめす指先のようなもの。
そのような手紙を、わたしも送れたらいいのに、と思う。夕方の明るい星を指し示す指先に、なれないか、と思う。
せめて、この本をそのままだれかに届けられたらいい、と思う。