- 作者: グレアム・スウィフト,真野泰
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/10/26
- メディア: 単行本
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ジャックが死んだ。
彼は、死ぬ前に、自分の遺灰をマーゲイトの桟橋から海に撒いてほしい、と頼んでいたのだ。
それが、ジャックの最後の注文。
その注文にこたえるため、彼の飲み仲間でもある四人の男たちが、一台の車に便乗し、マーゲイトに向かう。
彼の妻は同行しなかった。
物語は、出発するところから、努めを果たし終えたところまで、である。
車中での(一見)ささやかな出来事の記述、そして、四人の男たち(それから同行しなかった妻)と、おもにジャックを巡る回想が続く。
マーゲイトは、故人にとっても、「家族」にとっても思い入れのある土地であるが、読んでいるうちにその地名は、さまざまなイメージを帯びてめくるめくようだ。
人びとの回想とともに・・・
あたりまえのことだけれど、誰もがいろいろとあったのだ。
繋がり合っているようで繋がりあえていない夫婦、親子、友人・・・
誤解や思いこみだけで過ごしてきてしまった長い日々も。
まるで、乾ききった砂漠のようじゃないか、と思う。
同行することを拒んだジャックの妻は、五十年の間施設暮らしの娘に面会するために(五十年間やってきたように)その日も44番のバスに乗っている。
「ここがわたしの居場所」「家でも無ければ目的地でもなく、そのあいだを移動しているだけの、この時間が一番くつろげる」という彼女の言葉が印象に残るのは、車に乗っている四人の男たちに、その言葉が重なるから。
彼女が彼らと一緒に行かなかった理由も私はいまや知っている。いくつかの理由で、到底いけるわけがない、いくべきではないことを知っている。
それなのに、バスのなかでこのように感じている彼女の気持ちは、やっぱり四人といっしょにいたのだ、と感じるのだ。
四人とも、車のなかでそれぞれの旅をしている。家でもなく目的地でもない、そのあいだの時間が、どれほど大切な時間であったことか、と思う。
そして、その時間が、彼らの人生の、少なくても、現在の暮らしそのものなのだ、と感じるから。
海に灰をほうる。降り出していた雨がそのとき、やや小降りになる。風が、灰を遠くに運んで行く。
彼らがほうったのは、灰だけだったのか。彼らは何を海に放ったのだろう。
おそらくこれから先だって変わらない日々が続くのだ。ジャックただ一人がいないだけで。
一人ひとりが抱える問題は何一つ解決しないし、彼らがやろうと思っていることは、たぶん何もやらないままに過ぎ去っていくのではないかと思う。
そして、互いに自分の本心には蓋をしたまま、やっぱり互いのことが気になり、ときにはその存在に力づけられてもいくのだろう。
それでも、いつか、だれもが、海に散る、あの灰と混じりあう日がくるのだ。それだけは確かだ。
それまできっと彼らは、そしてわたしも、44番のバスに乗っている。または、小さな壺の入った袋を抱えて、あの車の助手席にすわっているのかもしれない。
そのなかほどのどこかで、何が起こるかもわからないのだ。