『闇の守り人』 上橋菜穂子

闇の守り人 (新潮文庫)

闇の守り人 (新潮文庫)


守り人シリーズ二冊目。
舞台はカンバル王国。
バルサにとって故郷カンバル王国は、ふれれば痛む古傷のようなものだった。
心の底についた傷をきちんと見つめなおすため、故郷に帰る。


この物語では、洞窟の闇の世界の描写がとても多い。
光を一切受け付けない真の闇のなかに、肉眼では見ることのできない沢山の鉱石(?)の色(?)を見ている。
闇の色は薄っぺらな「黒」ではないのだ。深く豊かな闇が広がっている。
闇の奥行きも、闇の中に潜む多くの色も、人の生き方に通じるようだ。


精霊の守り人』で、バルサの生い立ちについて、彼女の育ての親ジグロについて、ざっと知らされていた。
彼らがどんな人間であったか、その心根についても、彼らの生きざまについても、それを何一つ修正されることがないままに、今ここに全く別の意味が露わになる。


十重二十重に張り巡らされた姑息な陰謀があったのだ。それは、正直で誠実な人間のもっとも善良な部分を養分にして成り立つ陰謀であった。
だとしたら善意ってなんだろう。愚直な善意は、悪意のものに利用されやすい忌むべきものなのだろうか。
しかし、そこに、あの闇の中の槍舞が静かに現れる。
槍舞いは、槍を激しく差し交し、傷つき傷つけあい、それでもなお舞いながら、人の表皮を一枚ずつはがしていくようだ。
姑息、正直、誠実、愚直、善意、悪意・・・上↑で、わたしが自分で書いた言葉を拾いだしてみた。人の心に関する言葉。
槍舞いに臨んで、これらの言葉もまた、人間の表皮の一枚に過ぎないのかもしれない、と思えてくる。
すべての皮をとりはらったとき、何が残るのだろう。人の奥深くの核が、むき出しになり、闇の中に輝きだすのだろう。
カンバルの宝石、青いルイシャのように・・・


儀式と呼ぶにはあまりに激しい槍の押収、互いが命がけで作り上げる舞に圧倒される。
舞い手であることの、文字通り身を切られる辛さ。けれども、同時に舞い手であることの幸せも感じる場面である。
ここまで己と相手との懐深く踏み込みあうことのできる人が羨ましくもある。
激しくも美しい鎮魂・再生の物語。


そして、この物語は、バルサ自身の物語であると同時にもちろん、カッサ少年の物語でもあるのだ。
彼は、槍の名手になるだろうと思う。しかし、同時にヤギを飼う牧童とともに生きるだろう。
彼がどんな人生を送るにしても、充実した人生を送るだろう。その身の内側にルイシャの光を湛えて。