女子の古本屋

女子の古本屋 (ちくま文庫)

女子の古本屋 (ちくま文庫)


女性が経営する古書店が次々に紹介されます。
なぜ女性にこだわるのだろう、古書店古書店でしょうに、と思ったのです。最初は。
だけど、読んでいると、ああ、女性のお店だ、ここは、と思った。
それも古書店。おしゃれな雑貨屋さんとかカフェではない古本屋である。
「女子」であること「古本屋」であることが合体するとどういうことになるだろう。


まずは女性と男性はどう違う?
巻末の解説の近代ナリコさんはこんなふうに言われます。
男性は(それを)「する」のであり、女性は(それに)「なる」のだと。
…だから、この本は、古書店を経営するためのノウハウではなくて、古書店を成功させるための戦術なんかも問題ではなくて、
古書店(主)という、ひとつの生き方の記録になっているのです。
一つの店を紹介しようとすれば、店主さんの半生を語ることになってしまう。
(その物語に圧倒される。わたしの人生は、もしや凪の連続だったか、と思うほどに。)
古本屋になるという事は、成功するとかしないとか、採算がとれるとかとれないとか(もちろんそれも大事だけれど、)それらを越えて、どうあっても譲れない自己表現の形なのかもしれない。


たぶん、普通の本屋さんだったら、ここまでこだわることは許されないんじゃないだろうか。
自分の思いを反映させて、時には偏りがあったり遊びがあったりの店を見て、そう思った。
店そのものも、店の什器も、そして、そこに収められた一冊一冊の本も、何やら生きて呼吸しているのを感じる。
店主が思いを込めれば込めるだけ、店が什器が本達が、素直に、ただひたむきに店主の思いに応えようとする。
それは客にも伝わる。客もまた店主の思いをこめた「なる」の一部のような気がする。


・・・だけど、本当はそれは大変なことなのだ。
そもそも男性中心の世界だったのだという古本屋。それも理由あってのこと。
なろうと思うことはだれにでもできる。でも実際に「なる」ことは・・・。
著者はきっぱりと言い切る。思いつきで始められるものではないのだ、と。
そう言いながら、こうもいう。古本屋は(ある意味で)女子に向いた商売だと。
社会の波にもまれ、「塩の辛さを知ったのちに、人生の岐路で古本屋という職業を選んだ」女たちへの、この本は著者からのエールなのだ。


この本に紹介された古書店13店舗。さらに巻末の「それからの『女子の古本屋』」で紹介された19店舗。
一口に古書店、といっても、一店舗一店舗、ほら、こんなにも個性的でこんなにも違うお店。一人ひとりの顔も生き方も違うように。
そして、この先もしなやかに変化していくのだろう。


ところで、素敵な古書店たち、不思議に猫のいる本屋さんが多かった。
猫のいる本屋…思いだすのは長田弘さんの『アメリカの61の風景』の中に出てきた素敵な本屋さんたちのことです。
やっぱり素敵な本屋さんには猫が似合うのかな。(または、ここには猫がいるかもしれない、と思わせてくれる本屋さんが素敵なのかも)