庭仕事の愉しみ

庭仕事の愉しみ

庭仕事の愉しみ


庭、園芸、植物…に関わる、エッセイ、詩、短文、日記、小説(断片)、童話、そして水彩画や写真などが集まってこの本は出来上がっている。
ヘッセ、庭や植物に関する作品がこんなにたくさんあったんですね。
庭に喜び、慰められ、深い思いを庭と語らい、さらに深めていく…そんなヘッセの姿を静かに追い掛けていくような本だった。

>土と植物を相手にする仕事は、瞑想するのと同じように、魂を解放させてくれるのです。


ヘッセによって描かれる庭――緑なし、花や実をつけ、集まって見事な景観をつくる庭は、年を経ても若々しくて、思慮深い。
苦い経験や深い悲しみを振り返ったときでさえ、植物に触れながら思いだすなら、痛みも少しだけ和らぐように思える。
そして、そのように感じている自分にはっとして、そのように感じさせてくれる文章にはっとして、
満足して、美しい文章に身を任せていられる自分の読書を幸せと思った。


好きなのは、少年時代の思い出を語った文章。
すでに失われた儚いもの。でも、その時を通ってきたのは事実。味わったのも事実。
その事実は失われたのではなく、見えないけれど動かし難い別のものに姿を変えて、ちゃんとここにある、そんなふうに思った。残念がる必要はないのだ。

>そのとき私は、散歩をして、山の上から町を見下ろしてみようと心に決めていた。散歩をするのも、本当に楽しい企てではなかった。以前ならば決して思いつくことなどなかっただろう。少年は散歩などしない。少年は、森へ行くなら盗賊か、騎士か、あるいはインディアンになって行く。川へ行くなら筏乗りか、漁師か、あるいは水車作りになって行く。草原へ走るのは、蝶の採集か、トカゲ捕りに行くのだ。こうして私の散歩は、自分が何をしたらよいかわからない大人の、上品だが少々退屈な行為のように思われた。