美しい書物

美しい書物 (大人の本棚 ) (大人の本棚 )

美しい書物 (大人の本棚 ) (大人の本棚 )


「金魚の魚拓を一枚作ってくれませんか、形は天から火のように堕ちてくる恰好・・・」
第一文から心掴まれてしまった。
巻頭の『室生犀星と私』というエッセイ。
著者が編集者として、ブックデザイナーとして関わった室生犀星の凄みが凝縮された文章でした。
どこがどう凄いのか・・・むしろとらえどころのない、わがままさや可愛らしさのようなものを漂わせながら、
きっと眼光は、ただならぬものを持っていたに違いない。
そばにいたら、生気を全て抜かれてしまいそうな・・・
表現したいもの、書かずにはいられないものを持ちながら、その正体を今一つ見極められずにいたのだろう著者。
それをあっというまに掬いとられてしまう、からっぽにされてしまう。
空っぽにされながら…同時に、これ以上にない形で満たされてしまう。
こういう経験をしたことがあるだろうか。いや、ない。考えたこともない。
めったにできるものではないだろうし、
そういうことのできる人間が稀有なのだろう。ひとかたならぬ凄さなのだろう。危険人物だと思う。
その、纏ったただならぬ空気を、張り詰めたような美しさで描写する。
ああ、栃折久美子さん。初めて読みました。
そして、この人が、装丁した「金魚の魚拓・・・」の『蜜のあはれ』という本をどうしても見たくて見たくて。
探しました。これ、かな?
ttp://editus.co.jp/BG_III/saisei.html(勝手にリンク貼ってよいかどうかわからないので、頭のhを抜いています)
ほんとは手にとってみたい。手の中に、じっとなじませてみたい、そしてゆっくり読んでみたい。


「私はお金で買える品物の中で、本というのは最もすばらしいものだと思っています・・・」
と著者はいいます。
中身が素晴らしいのは当然なのですが、その素晴らしいものを包む装丁について、実はわたしはあまり大切に思ってこなかったのです。
ただ、この本にこの表紙はちょっとねええ、と自分の趣味に合わないのを残念に思うことはままあったけど。
意識もせず、違和感もなく、すうっとその本を受け入れらた、ということは、やはり、装丁が素晴らしかったのだよね。
装丁は決して大きく主張しません。
あくまでもあくまでも、主役は中身。その中身をひきたてるために、二歩も三歩も後ろへさがって、むしろそっけないくらいに見える。
でもしっかり本を支えている。細部まで、読者には決して見えない部分のこだわり。その安心感と、ときめきと。
大好きな本を思い出すとき、大好きな文章のフレーズもそうだけれど、やはり、本として書物としての姿がぼうっと浮かび上がる。
タイトルより先に。ああ、あの本、と。
その「ああ、あの本」を、これほどに力尽くして作り上げる人(たち)の存在があることに、
ほとんど初めて申し訳ない気持ちになり、感謝したくなりました。
改めて、自分の書棚の一冊一冊を見直してみたくもなります。


美しい文章です。
美しい本を作る人は文章も美しいです。
この本を読みながら、「もしかして?」と確認・・・ああ、やっぱり。この本そのものが糸綴じ!
糸綴じであることがどうしてこんなに重要なのかといえば、この本の中で何度も何度も触れられている。
そして、
「糸綴じの本」ということは、
出版する側が、この本に、何十年も何百年も先まで長生きすることを望んでいる、ということなんだ、
そういう願いとその可能性を持って生まれた本なんだ、
そういうふうに、自分の言葉に直して、理解したのでした。
みすず書房の叢書『大人の本棚』は、内容の充実だけではなくて装丁も美しくて大好きですが
(あ、やっぱり少しは装丁も気にしていたのです、わたし)
それだけではなくて、見えないところを手を抜かず、大切にこだわって作られた本なんだ、と知りました。
糸綴じの本なのですよ。
ますます好きになりました。