ガラガラヘビの味――アメリカ子ども詩集 アーサー・ビナード/木坂涼 編集・翻訳 岩波少年文庫 |
年代もばらばら、知名度もばらばら
(ホイットマンやディキンソンもいれば、無名の詩人も、詠み人知らずのイヌイットやショショーニ族の女性も)、
そして、歌われているものも、歌い方も、人それぞれ。
なんという自由で楽しい詩集だろう。
アメリカという国の広さ、その広い土地が乗せている人々は、ほら、こんなに多彩なんだよ、と言われているような気がします。
編集・翻訳を担当したアーサー・ビナードさんと木坂涼さんの対談形式のあとがきも楽しくて、
この本ができるまでって、こんなに大変だったのか、でもほんとは楽しそうでいいな〜、と思いながら読みました。
そのあとがきのアーサー・ビナードさんの
「・・・あえていえば、この『ガラガラヘビの味』のメンバーに共通しているのは、詩はみんなのもの、生活とつながるもの、だれでも入れる空間だといった基本姿勢だろう。」
という言葉が素敵で、うれしくなる。
きっと読者も参加できる詩集、ともいえるんじゃないか。
読みながら、自然、自分の歌を歌いたくなるかもしれない。
だって、有名無名関係なく、もしこの本にとりあげられた詩たちに共通点があるとしたら、敷居がすごく低い、ということ。
それは訳にもよるのかもしれない。
詩人とただの人の境を簡単に飛び越して、だれでも詩人になれるような気がするし、
この詩の続きを歌っている気持ちになる。
それが楽しい。
そうして、一冊、これだけテイストのちがう詩を読みながら。
自分の好みの頑固さにあきれてしまうけど。
あれもこれもいいね、といいながら、もし、一番好きなのを三つあげてごらん、といわれたら、あれとあれとあれ。
何を見て何を聞いて美しいと感じるか、嬉しいと感じるか、気持ちがいいと感じるか・・・そんなことが好きの基準でした。
セオドア・レトキーの『花捨て場』の頭をもたげたチューリップ。
レイチェル・フィールドの『夏の朝』の空気のにおい。
ジャック・プレラツキ―の『スパゲッティのたね』のナンセンスなおかしさ。