女帝 わが名は則天武后

女帝 わが名は則天武后女帝 わが名は則天武后
山颯(シャン・サ)
吉田良子 訳
草思社


則天武后知名度は高いけれど、否定的な評価を受けてきた女帝。
それは、最晩年、眷属・側近に謀反に近い形で無理やり譲位させられたためでしょう。
死後は皇帝として祀られることもされず、墓碑銘さえ長い間つけられませんでした。
そうやって先の皇帝であった彼女は否定されました。
歴史は、勝者のものなのですね。
もう一つの理由は、のちの男性優位社会、男尊女卑の思想が力を増してきた時代の学者たちにとって、
則天武后が女帝であったことは、許しがたかったのだそうです。
そのために歴史資料の記述は偏見に満ちたものになり、それがのちの通説になったのだそうです。
まず、その偏見を白紙に返して、一人の女性を主人公とした歴史小説として、読みます。


聡明であり、判断力、決断力、行動力に優れた少女が、父を失い、後ろ盾のないまま、後宮に上がり、低い身分から、やがて皇后へ、
そして、中国初の女皇として、君臨する。
則天武后
何もかも手に入れて、東洋一の大国の頂点に立ち、人々が彼女の足元にひれ伏す。
かなわぬ夢などないだろうに、高く昇れば昇るほどに、彼女をとりまく闇は黒々と深く、大きく広がっていくようです。


思えば、この人は、幼いときから孤独でした。
自分がたったひとりであることを自覚し、受け入れて育ちました。
そういう環境でもあったし、彼女の持って生まれた性格だったのだと思います。
でも、幼い日の彼女の孤独には、潔いものを感じました。
清清しいのです。
彼女にはどこか近寄りがたいものがあるように感じたし、彼女のまわりには一種独特の空気があるような気がしました。
その空気は、より透明な感じがします。
孤独、というより孤高、というイメージです。
そして、何よりも自由でした。
心もからだも。


それが、後宮に上がり、だんだんに、彼女の孤独のイメージが変わってきます。
空気がにごってきます。
持っていた自由を少しずつ手放していくような感じ。
後宮に上がる、といったところで、囚われの身になるわけですが、心までも囚われていくような気がするのです。
鎖でつながれて。
そして、皇后となり、皇帝の影になり日向になりして、政治を操り、権力を強めていくごとに、
皮肉なことに、ますます固く縛られ、孤独はいやまし、彼女をとりまく闇は深くなっていくのです。
もはや痛々しいほどに。
やがては、暗闇の孤独地獄に身動きできないほどにがんじがらめに縛られ、だれひとり味方もなく、ただ権力だけを持って、
玉座に座り、皇帝として君臨する。全土をその足下にひざまずかせて。
なんという痛ましさだろう。
そうまでして守り続けたものはなんだったのか。何の意味があったのか。

>・・・私は放棄したのだ。咲きほこる美もいつかは衰えるように、わが周帝国も歴史のなかのつかのまの夢にすぎないことを悟っていたからだ。
この苦しい人生のおわりにこういう言葉が現れる。
ここを読むとき、読者自身もまた、彼女の孤独の闇に囚われていることを知るのです。
彼女がなした偉大なこと。
彼女がなした非道なこと。
彼女が躍起になって守ったこと。
・・・それらはまるで夢であり、何もかもが、空しくなってしまうのです。
彼女の死後、彼女は皇帝であった事実さえもゆがめられ、彼女の眷属は互いに骨肉の争いを続け・・・
それら何もかもが、駆け去った女性の人生のあとでは、スローモーションのようで、そして、空しい。
その空しさは、庶民であるわたし自身の暮らしにまで及んでくるのです。
自分の人生もまた夢だった、と悟る瞬間がいつか来るなら、できるかぎり気持ちのよい夢にしたいものだ、と、
せめてそんなことを思っています。

亡き後、彼女は長く悪女として知られてきましたが、彼女のなしたことは、後の中国の礎を築き、彼女の事業の多くは、そのまま後世に残ったのです。
名ではなく実として。