夜間飛行

夜間飛行 (新潮文庫)夜間飛行
サン=テグジュペリ
堀口大学 訳
新潮文庫
★★★★★


併録は、処女作の「南方郵便機」、悪くはないのですが・・・なんといっても表題作「夜間飛行」が良すぎました。


「夜間飛行」
郵便飛行業草創期。他の輸送機関と快速を競い、事業の死活を賭けて夜間飛行を始めた輸送会社の支配人リヴィエールと、
彼の操縦士のひとりであるファビアンが主たる登場人物で、
それぞれを主人公にした場面が交互に現れる。


南米先端のサンジュリアンからブエノスアイレスにむけて飛行してきたファビアンと彼の無電技師は、夕刻、アフリカ大陸に向けて離陸する。
ファビアンの目になって読む文章は、まるで、自分が夜飛ぶ鳥になったようで、
冷たい夜の空気、闇に包まれていく下界の描写など、自分をとりまく空気まで感じられるようでした。
そして、遠くから近づいてくる嵐の気配も。
死とすれすれに飛ぶ緊張感も。


一方、支配人リヴィエールは、厳しい男で、ちょっとのミスも許さないし、どんな理由も考慮することなく厳然と懲罰を与える。
一人ひとりの事情を考えて同情することはない。きまりはきまりである。
例外はない。
「規則というものは、宗教でいうなら儀式のようなもので、ばかげたことのようだが人間を鍛えてくれる」との信念をもっている。
そして、こうも言う。
「過誤というやつは、所かまわず見つかり次第刈り取っておかないと、早速点火に故障が起きたりする。だから、過誤がその手口なり尻尾なりを現わしたと見てとったときに、これを見のがすことは罪悪だ。・・」
一見血も涙もなさそうな冷徹な経営者ぶりの奥で、実は熱い血が流れている。
彼はその信念ゆえにだれよりも苦しんでいる。けれども決してそれを表に出さない。
それは、この仕事が常に命賭けの仕事だから。一時の温情に動かされて、手許が狂えば、そこにあるのは間違いのない死なのだ。
それは掟かもしれない。
そして、地上に縛り付けられながら、多くの部下たちの命を手ごまのように賭けて仕事をする男の、決して譲れない一点でもあっただろう。
部下たちは、たぶん、それだから彼についていくのかもしれない。彼に命を預けて。


今、嵐の中を死を賭けて飛ぶファビアンと、下界にしばりつけられながら、彼の生還を待つリヴィエール。
物語は硬質で、その場面場面は容赦がない。まさかの奇跡を祈る軽薄な希望は、頭から拒絶される。冷たくて厳しい夜の物語です。
ファンタジーのかけらもないのです。
だけど、このあまりに厳しい掟の世界に、不思議なロマンがあります。
リヴィエールとファビアン、孤高に輝く地上の星と天井の星のコントラストの妙。
文章はまるで詩を読んでいるよう。それを堀口大学の1939年訳で読める嬉しさ。


罠のような明るい星々に導かれて上昇するファビアンの微笑み。
あの不思議な静寂、不思議な明るさはなんだろう。あの落ち着きはなんだろう。
絶望でもあきらめでもない、むしろ希望に似ているあの微笑。
それは、地上に縛り付けられたリヴィエールを刺し貫くかのよう。冷たい勝利に打ちのめされながら、彼は次の仕事へと向かう。
散文的で無機質なラストシーンが、不思議に美しい。
そして思い出す。リヴィエールが音楽家ルルーについて言った言葉。
「見たまえ、恋愛に二の足を踏ませる彼のあの醜さがなんと美しいことか・・・」 
この奇妙な逆説的な言葉が、そのままラストシーンのリヴィエール自身になんてよく似合っていることでしょう。