ゴーストアビー

ゴーストアビー (YA Dark)ゴーストアビー
ロバート・ウェストール
金原瑞人 訳
あかね書房
★★★


ママが亡くなってからパパは無気力になってしまった。しかも家政婦はだらしなく、この家の家事いっさいから双子の弟の面倒まで12歳のマギーがひとりでこなしている。
ある日、パパ宛に届いた一通の手紙。大邸宅(アビーと呼ばれるもと修道院)の改築に際し、一級建築士であるパパを現場監督兼住み込みの管理人として雇いたい、と言う誘い。差出人は一見見覚えのない名前。どうも昔いっしょに仕事をした建築家らしい。
で、マギーの願い(パパの再生の願い)により、このアビーに引越しするのですが、この屋敷、99だか98だかの部屋があり、想像以上に大きくて、しかもボロ。しかも門から玄関までは一つの町がすっぽり入りそうな広さの森です。
アビーに一緒に住むのはアビーの持ち主のミズ・マクファーレン。
出入りするのは建築家のジャーマンさん。
やがて仲間入りする門番のパーシーさんと犬のウルフ。

はじめてマギーたちがアビーに到着したときからどきどきします。なんといっても幽霊物語ですもの。いつ出るか、いつ出るか、とびくびくしっぱなし。
出てくる人出てくる人みんな、生身の人間なのか?と怪しみ、電気が消えたといえば、それっととびあがり、物音がしただけで心拍数があがります。
やがて、ほんとうに不思議なことがおこりはじめて、もはや途中でやめられず、あっという間に読了してしまいました。

寂しさを道連れにした逸れ者たちが、家族のようによりそいあって過ごす夕飯のあとのひとときが好きです。おだやかな団欒のひととき。
また、「あいつらは仕事も、希望も、将来もないんだ」とティミンズに言わせるマンパワーサービスの少年スタットウィックに起こったことは、「甘ったれるな」という作者の厳しい叱責でしょうか。
マギーの大人たちを見る目の冷静さも、大人としてどきっとさせられます。観察者としての子どもの目って、鋭いし、賢いです。
「突然、マギーはパパがかわいそうな人に思えてきた。子どもといっしょだ。自分の幸せをおびやかすものはなんであろうと無視してしまう。」 そして、そんなパパのことを「目隠し皮をつけられて右も左も見えずただ鼻先のまっすぐな道しか見えずに走る馬」に喩えています。さらに「でも馬はパパみたいに自分から目隠しをつけたりなんかしない」ときたもんだ。鋭いなあ。

・・・みんな寂しく心弱い人たちです。主人公マギーを含めて。その寂しい心とどうやって折り合いをつけようとしているのか、みんなそれぞれ違いました。
幽霊を忘れて人間たちのドラマに夢中になっていました。そして、もしかしたら、それは読者だけではなく幽霊自身も、興味深く眺めていたのかもしれません。
もしかしたら幽霊は、彼らの寂しさとよりそっていたかったのかもしれません。幽霊もまた寂しいから。
寂しい心が寄り添いあうほのかな明るさが好きです。「ほのかな明るさ」なんて言葉は似合わないくらいしっかり者のマギーがそこにいるのもよかった。

>目を凝らしてみれば、大人って本当は迷い犬みたいなものなの? もしそうでないのなら、どうして迷い犬みたいな大人ばかりがアビーに集まってくるの? まるでアビーが磁石のように迷い犬を引き寄せているみたい。