『おれの墓で踊れ』 エイダン・チェンバーズ

 

おれの墓で踊れ

おれの墓で踊れ

 

 

まず、新聞記事が一点。
亡くなった18歳の息子の墓が葬儀後まもなく損壊された(きっと犯人は同じことをまたやるだろう)との、遺族である母親の訴えにより、16歳の少年が、張り込んだ警官に現行犯逮捕された。
少年は起訴されたが、とった行動の説明も弁明も拒否。法廷では終始黙秘し、無感動だったという。
裁判長の判断により、ソシアルワーカーの報告書が整うまで、裁判はもちこされることになった。


ここから、16歳の少年ハル(ヘンリー)による手記が始まる。
最初は、その軽口に困惑して、読み続けるのがつらかった。
ずっと後になって、この手記はソシアルワーカーに提出するため、ハルが尊敬する英文学教師の勧めによって書き始めたものだとわかるのだけれど。
そして、この手記に挟み込まれたソシアルワーカーによるいくつかの報告書のうち、一番最初のものに書かれていた通り、「緊張しているのを、むりに明るく装うことでごまかそうとしていた」ための軽口なのだ、ということもわかるのだけれど。
緊張していた、というのもそうだけれど、ハルは困惑もしていた。
自分の考えている事や、自分の行動の理由について、とても第三者にわかってもらえるように話すことができないと思っている。
そう努力する意欲も失くして、たぶん生きているという実感さえも失っていたのだろう。


ハルがバリーに出会ったのは、バリーが亡くなる七週間前だ。
ハルのバリーへの気持ちが、丁寧に描かれる。
恋する喜びも恐れも、そして苦しみも、そのほかの言葉にならないような小さな揺れも。
そして、七週間とその後のことから、ハルの恋がどういうものであったかも、ハルが見ていたバリーの姿と自分自身の姿がどういうものであったかも、だんだんわかってくる。
だんだん? そうだったっけ? ある日突然、電撃に打たれるように、はっとわかることもあったのだ。恋人同士のことだけではなく、周りの人の気持ちも。知らん顔してただそばにいるだけだ、と思っていた人の気持ちも。
そうして、ああ、あの時のあの場面は、だから、そういうことだったのか……と思い当たる。
あの件を読みながらイライラしていた(読者としての)気持ちは、それだからだったのだ、と気がつく。


書いては消し、書いては消し、何度も書き直して、そうして書き上げ、それでも何かが違うと悩みながら書いていたのだ。
感情のままに一気にタイプに叩きつけて、以後忘れてしまおうとした短文のほうが、長い時間をかけて懸命に綴った文章よりもはるかに言うべきことを言い得ていると感じたこともあったのだ。
手記を綴る少年の苛立ちが伝わってくる。書くことはなんて難しいのだろう。
この文章の目的は、ソシアルワーカーに自分の行動の理由を説明することだったけれど、やがて、別のものでもあることにも気がつく。
それは途方もなく大きなものだ。当初の目的などどうでもいいほどの。
最後に、もう一点、新聞記事が載る。裁判は……。読者としても気になっていたことだが、ここまできたら、それはどうでもいいくらいのものになっていた。