『天文屋渡世』 石田五郎

 

天文屋渡世 (大人の本棚)

天文屋渡世 (大人の本棚)

  • 作者:石田 五郎
  • 発売日: 2011/01/21
  • メディア: 単行本
 

 

「はじめて星を知ったのは「防空演習」の夜であった」と石田五郎さんは言う。(その後、空襲の悲惨さを幾たびも体験することになるのだが)その夜、灯火管制の下、突然に作り出された東京の星空は見事だったそうだ。


少年だったころ、神田の三省堂の棚でみつけた野尻抱月『星座神話』は、少年の小遣いで買えるような値段ではなかった。何か月もかけて小遣いを貯めて手に入れた。その間、この本が同じ棚に売れずに残っていることを確認するために何度も店を訪れて。
「手垢にまみれ金文字もうすれているが、私には肌身離せない本のひとつである」とその何十年も後に、著者は言うのだ。


この本に掲載されたエッセイは、天の章、地の章、人の章に分けられている。
それぞれおもしろかったけれど、なかでも、上記の二つのエピソードがことさらに心に残った。
子どもの頃の出会いが、生涯にわたってうちから照らし続ける光になったことが。


「天の章」では、茶目っ気を交えて、天文の魅力を語ってくれる。
昔からずっと変わらずにある星なのに、極めて低い空に現れるため、すぐに見えなくなってしまうカノープスという星があるそうだ。なかなか見ることのできないこの星は、その現れ方から、横着星とも呼ばれること。
ときには、空にのぼってくるオリオンから、歌舞伎の花道の出を連想する。「ミツボシヤ」と声をかけたくなる、と。
古典や芝居、詩歌などにあらわれる天文の現象(?)を拾い集めて見せてくれるのも楽しい。古今の歌人俳人が、集って星の会を催しているようだ。豪勢だなあ。絢爛だなあ。


岡山の大望遠鏡の建設現場に通った際の話、毎日顔を合わせるトビたちとだんだん親しんでいく話。
「こだま」で隣に乗り合わせた乗客(刑務所を今朝出所したばかり、という人)と、乗車中の六時間、話がはずんだ、という話。
恩師の家に飾られていた少女像のことを、その訃報から思い出した話。
三つに分かれた章のうち、もっとも大きい章は「天の章」だったけれど、天空を語る言葉も、人との出会い(別れ)を語る言葉も、隔てがなくて似ているように思えた。親しんだ人や、その人たちの思い出が残る土地、出来事を語るように、あるいは会話を採録するように、天の話も語って聞かせてくれた。


天文台を定年退官して、天下浪々の身となった著者は、以後「天文屋」と名乗ることにしたそうだ。
「「天文屋」稼業とは、天文学の内外に目をすえて人の気がつかないいろいろな問題を発掘することと思うのだが、この商売どうも金もうけとはあまり縁がないようである」
天文学といえば素人には敷居が高いような気がするけれど、天文屋といわれたら。看板にひかれて、ちょっとあの店に寄ってみようかな、と思う。気さくな店主が待っている本。