『五匹の子豚』 アガサ・クリスティー

ポアロのもとを訪れた依頼人カーラ・ルマルションは、16年前の殺人事件について調べ直してほしい、というのだ。
カーラは、幼い頃に両親を亡くし、伯父伯母に大切にされて育った。しかし、21歳になったとき、自分の母が父を殺した容疑で裁判にかけられ、有罪になっていた事を打ち明けられた。同時に、母が娘に遺した手紙も渡されるが、そこには自分は無実である、と書かれていた。
カーラは、真相を知りたいのだ。


カーラの母カロリンがもし仮に無実であるとするなら……その場にいた関係者は五人。
とはいえ、何処から見てもカロリン以外に犯人がいるとは思えないのだが……
ポアロは、当時の弁護士や刑事に話を聞いたあと、五人のもとへ順繰りに話をききに行き、なおかつ、五人に手記を書いてもらう。


「たった二人が、同じものを見ても、同じようにおぼえていることはなかなかないものだ。ましてや五人の話を聞けば、五様の殺人事件の説明を聞くことになるだろう」との、もと警視ヘイルの言葉どおり、共通するのは場所や人の名前だけで、その内容も印象も、それぞれに異なった物語が五つできあがっていた。
だけど、読んでいるとおもしろいくらいに、浮かび上がってくるものがある。その人が見たままの場面や人物の姿以上に。
それを語っている(書いている)本人の人となりだ。ことに口を閉ざして誰にも言わずにいた本心が透けて見えてきそうなのだ。


もう一つ、五人の証言のなかで極めて印象的なのが、被害者と容疑者の間にいた小さな娘カーラの存在の薄さだ。
「……子供も相当の問題になるのが普通ですが、この場合には、子供についてはなんの考慮も払われていないようです。それが不思議でたまらないのです」とのポアロの指摘が心に残る。


そして、五つの証言から、ポアロは、過去を鮮やかに再建してみせてくれる。
読み終えて思っているのは、被害者には(死者にムチうつようだが)いっぺん豆腐の角にでも頭をぶつけてみればよかったのにってことと、容疑者が身にまとう気品だ。
そして、「結局、二人は死ななかったのです。死んだのは……」という言葉が余韻のように残る。犯人は本当は誰を殺したのか、この時までの16年を、しみじみ考えている。