『虫めづる姫君 堤中納言物語』 作者不詳

 

 

堤中納言物語』は、平安~鎌倉時代に書かれた、作者(編者も)不詳(一篇を除いて)の11篇の物語を集めた短編集だ。
なぜこの物語集が『堤中納言物語』となったのかわかっていないが、一説には、(11篇が)「ひとつつみ」にまとめられた物語だから、と言われているそうだ。
堤中納言』の「堤」は、ひとつつみのつつみなのだ、と思えば、この物語集が、愛らしい結び目のある小さな包みの姿に見えてくる。手のひらの上に載せてもらった過去からのおみやげ。ちょっとうれしくなってしまう。


巻末の解説で、訳者、蜂飼耳さんは、「この物語に収められたすべての短編に、それぞれの季節がある」と書いている。
なるほど、順繰りに見て行けば、『花を手折る人(花手折る中将)』の満開の桜から始まり、『ついでに語る物語(このつゐで)』は春の雨、……葵祭りがあり、橘が咲き……『貝合わせ』は九月の話……最後の『断章』で冬。物語は11篇のなかで、季節を追って流れていく。まるで雲が動くように、物語が動いている感じだ。


訳が砕けた感じなのも手伝って、貴公子たちや、侍女たちの会話が、まるで、現代の若者が語らっているような感じで、古の時代の雅な人々は、なんだ、現代とさして変わらぬ気持ちで暮らしていたんだ。


『あたしは虫が好き(虫めづる姫君)』の姫は、毛虫をはじめ、珍しい虫を集めていて、侍女たちに嫌がられている。
当時の女性であれば当たり前だったお歯黒をすることも、眉を抜くこともしないで、髪もばさばさ、立ち居振る舞いも雑である。
侍女たちだけではなくて、きっと誰もがぎょっとするようなお姫様だったはず。
だけど、この物語の作者は、なんと、この姫をいきいきとかわいらしく描き出したことだろう。
「世間で、どういわれようと、あたしは気にしない。すべての物事の本当の姿を深く追い求めて、どうなるのか、どうなっているのか、しっかり見なくちゃ」
と、言う事もしっかりしていて、かっこいい。
この物語の作者は、いったいどういう人だったのだろう、と気になる。


いやいや、この物語集の編者はいったいどういう人だったのだろう。
この物語集、『虫めづる……』だけではなくて、ほとんどの物語から、はつらつとした弾力のようなものを感じる。
『花手折る人』『黒い眉墨』などには、くすっと笑ってしまうのだけれど、それは、ただ待つしかない女たちに代わって、あまりにも身勝手な男たち(『黒い眉墨』『思いがけない一夜』などの)への仕返しのようだ。
それも陰湿じゃなくて、空を仰いでカラッと笑いあげるような。
それは、『それぞれの恋』にちらっとあらわれるような厭世観の裏返しでもあるのだろうか。


物語ごとに蜂飼耳さんによる丁寧な読書ガイドがつき、巻末にはまとめての解説があり、これらもよかった。
「不明なことだらけの物語集でも、そこに物語そのものがあり、読むことができる。いま生きている読者が受け取り、いま生きている心のなかで物語を再生することができる。改めて考えてみても、これはなんという不思議なことだろうか。遠い昔の物語を、いまも読めるということは」