『わたしのいるところ』ジュンパ・ラヒリ

 

わたしのいるところ (新潮クレスト・ブックス)

わたしのいるところ (新潮クレスト・ブックス)

 

 ★

私によく似た(あるいはちっとも似ていない、どうともいえない)「わたし」がいる。
「わたし」が暮らすどこかの国のどこかの町で、日々、物語が更新されていくのだ。
「物語」といったけれど、その一章一章(?)は、短いものなら1ページの半分くらい、長くても4~5ぺージほどの短文だ。
日常のあれこれを取り留めもなく記しているようで、一見、とりとめのない日記ブログみたい。だが、やっぱり、これら、一つずつの「物語」なのだ。たとえ、その章が半ページほどの文章であったとしても。


町角で見かけただれかについて語り始める。
ある店先に立った印象から語り始める。
あるいは、旅先で、親の家で、夕食のテーブルで、物語は始まる。
そして、何事も起こらないようで、何かが起こるのだ。
「わたし」のなかで、風(大風のこともあるが、たいていはあるかなきかの微風)が起こる。物語が始まり、進行し、納まる所におさまっていく。


読んでいるうちに、「わたし」の生い立ちや、境遇、周囲の人たちとの関係などもわかってくる。因縁かねえ、重たい話になるかもしれないな、と思うようなあれこれが、飛び石のようにあちこちの物語の水面に顔を出している。
水面下で、ねじれながら繋がるあれこれの光景は想像できるのだけれど、あえて、今はそこまでにしておきたいのだ。
重たくなんかないよ。むしろ軽みを感じる。小さな物語の繰り返しがリズミカルで音楽的だな、とも思う。心地よいと思う。


このリズミカルな小さな物語の集まりをちょっと離れたところから見れば、ゆっくりと登ったり下ったりして、一続きの大きな物語になっている。大きな物語が、外に向かって気持ちのよい風を吹かせながら終わっていく感じが、いいなあ、と思う。
「わたし」はいつもひとり。
「わたし」のまとう「ひとり」が気持ちいいのだ。


人名も地名も出てこない物語だ。
読んでいるうちに、自分の名前を持ち、名のある町に住む私は、べたべた背中に張り付けたいくつものしがらみ(名前)の重さを感じ始めている。
唯一無二の名前、大切にしてきたつもりだったけれど、いつのまにか重たすぎるものになってしまうなんて。
ひきかえて、名前のない物語の居心地のよさ。書かれていない名前はどうでもいいものかもしれない。
そうして、どうでもよくないものがぼんやりと浮かび上がってくる。
ただ「わたし」の孤独(ひとり)が潔いこと。


今、物語から立ち去ろうとする彼女の足取りは颯爽として軽やかだと感じる。彼女が語る過去も家族も、周囲の人びとのことも、彼女の足元で重みを失っていくよう。