『ミゲル・ストリート』 V.S.ナイポール/小沢自然,小野正嗣(訳)

 

ミゲル・ストリート

ミゲル・ストリート

 

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カリブ海トリニダードがまだイギリスの植民地だったころの、
首都ポート・スペインの下町ミゲル・ストリートに住む人びとをひとりずつ主人公にした、17の物語である。


「そこは、19世紀中葉に実現するイギリスの奴隷解放後に、奴隷に代わる労働力として、ナイポールの祖父のようなインド系、あるいは中国系の移民たちが入りこみ、いまやその子孫たちが、異種混淆的なカリブ海英語を母語としながら生活している世界である」(訳者あとがきによる)
そういう背景があるためだろうか。ミゲル・ストリートの人びとの間には、宗主国イギリスやアメリカ合衆国に対する、屈折した劣等感のようなものが、滞っている感じなのだ。
彼らの物語には、くすっと笑わせるようなオチがいくつもあるけれど、どれも、少し物悲しい。


彼らは夢見る。彼らなりの夢。偉大な詩を書くことや、宝くじを当てることや、おおいに学んで少しだけましな暮らしをすることや……
だけど……
最初からあきらめることに慣れ過ぎてしまった人たちなのかもしれない。
だから、間違えて夢がかなったりすると、居心地が悪くなって、何もかも滅茶苦茶にしてしまわずにはいられなくなるのだろう。
あとは思い切って故郷を棄てて逃げ出すしかないのかも。(だけど、どこへ?)
その様子を描写する、ユーモアたっぷりのいさぎよいほどの書きっぷりに、思わず笑ってしまうが、ほんとはなんだか悔しくて、ちょっと泣きたいような気持ちなのだ。
なんと皮肉で、なんと苦いユーモアだろう。


「ぼくが悪いんじゃないや。トリニダードのせいだ。ここじゃ、酒を飲む以外に何ができるって言うのさ」
語り手「ぼく」は、子どもだったけれど、だんだん大きくなる。
そして、「ぼく」が仰ぎ見た大人の男たちが、ただの小男にすぎないことを、やがて知る。
それでも、彼らみんなが彼を育んできたのだ。


「何作ってんの、ポポさん?」と訊かれると「おいらは名前のないものを作ってんのさ」と答える自称大工のポポ。
「おれは医者になろうと思ってんだ」と言っていたみんなの神童エリアス。
世界でいちばんすばらしい詩を書いていたB・ワーズワース
蒼いゴミ収集カートを運転するしゃれ者エドス。
アメリカ人に憧れて、アメリカ兵の仕草や話し方、ちょっとした癖までコピーしようとしたエドワード。
彼ほど人生を楽しんでいる人を知らないとみんなに思われていたハット。
それから、それから・・・誰もかれも、みんな素敵な面々だった。
みんなが持っているもので、形あるものはみすぼらしかったけれど、その代わり、目に見えない夢を美味しく味わうことを知っている人たちだったんじゃないか。
そういう連中が、たむろして酒飲んで、(制限つきで)人生を楽しんでいる。知った顔には、朗らかに呼びかける。見知った子どもがちゃんと大きくなることを、見守っている。
みじめだけれど、なんとなく温かい。暗いけれど、ほんのちょっとだけ明るい。

いつか、それらを失った時、懐かしく思いだす場所。(夢がかない、望通りの上り坂を歩くことで、必ずしも幸せになれるわけではないのかもしれない、と思いつつ)