『ダーウィンと旅して』 ジャクリーン・ケリー

 

ダーウィンと旅して

ダーウィンと旅して

 

 前作『ダーウィンと出会った夏』の最後で、真新しい雪の上に足を踏み出したキャルパーニア(コーリー)の、その後の物語である。


1900年、キャルパーニアは13歳になった。彼女の境遇にその後、目覚ましい変化があったわけではない。
六人の男兄弟のなかで、たった一人の女の子である彼女にとって、あからさまな不公平は、ずっと続いている。
どんなに強く望んでも、女の子が大学へ進学する、なんて希望は、両親にとって(当時のごく普通の価値観として)もってのほかで、良き伴侶をみつけてよき結婚をすること以外の選択肢は、彼女にはないのだ。
好奇心もあり向学心も人一倍強い彼女は、在野の科学者である祖父から、兄弟中で唯一、その才能を買われている。でも、そのことさえ両親にとっては苦々しい。
「不公平だ」と身もだえするほどの彼女の閉塞感に、読んでいるこちらも、たまらなくなる。


が、そのまま、泣き寝入りしてはいない。あきらめたりはしない。
読めば読むほどに、彼女の逞しさに「いいぞいいぞ」と拍手を送りたくなるのだ。
「私が自分の道をみつけなくてはいけないのなら、そうする。自分の道を見つけるわ」との言葉に、感嘆の気持ちが広がる。
あなたならできる。必ずできる。どんなに遠回りしても目的を遂げる。すでに、その一歩を歩きだしている。


キャルパーニアをめぐる人たちの存在も心に残った。様々な事件があったのだ。
まずは、キャルパーニアの弟トラヴィスは、動物好きで、次々に迷子の野生動物たちを拾ってくる。そしてそのたびに、酷く悲しい別れを繰りかえす。
彼のお気に入りの姉であるキャルパーニアはそのたびに巻き込まれ、厄介事を引き受ける羽目になるのだけれど、読んでいるほうは、はらはらしつつ、思わず微笑んでしまう。
ことにコイドッグ(コヨーテと犬の雑種)スクラフィ―とのことは、トラヴィスへの共感とともに心に残る。
「半分犬で半分コヨーテに生まれたのは、自分でそうなりたいって望んだわけじゃないんだから。自分ではどうしょうもないことなんだから」


それからいとこのアギー。震災で家を失って、しばらくのあいだキャルパーニアと一緒に暮らすのだが、そのアギーに対するキャルパーニアの言葉の辛辣なこと。
この主人公は、決して絵に描いたような「よい子」じゃない。
アギーもまた、一筋縄ではいかない。
二人ともなんてしたたかなんだろう!
そして、知り合えば知り合うほどに、相手の印象がどんどん変わってくるのっておもしろい。おもしろい、というよりも、何度でも印象を修正していける娘たちには、舌をまく。

(それは、ひるがえって自分自身の物の見方、考え方を柔らかく変えていく)


この物語のタイトルは『ダーウィンと旅する』だけれど、実際には、物語中、一度だって彼女は家を離れることはないのだ。でも確かに旅をした。し続けている。
「旅のほとんどを書斎でしておる」という祖父の言葉から、キャルパーニアの旅も始まっているのだから。

 
彼女の成長の日々が、わたしには、そのまま大冒険のように思える。行く手をふさぐあまりにたくさんの障害を、彼女は、やがて越える。それが楽しみで仕方がない。
これからの彼女の旅を想像もするが、できることなら続きを物語で読みたい。ぜひ!