『ノエルカ』(再読) マウゴジャタ・ムシェロヴィチ

ノエルカ

ノエルカ

  • 作者: マウゴジャタムシェロヴィチ,Malgorzata Musierowicz,田村和子
  • 出版社/メーカー: 未知谷
  • 発売日: 2002/01
  • メディア: 単行本
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ボレイコ家の食卓に、ふと招ばれたくなり、再読。
(初読みの感想はこちらに書いているので、今回は少しだけ、付け足しとして)


ボレイコ家の居間の明るさや開け放たれたドアは、決して底抜けではない。みんな、少しずつ翳りがあり、孤独を抱えている。
人が集まり賑やかに食卓を囲む場で、ナタリアがいう「クリスマスイブにはいつも何か寂しさを感じるんだよね」という言葉が、沁みてくる。
翳りがあるから、その明かりは温かく感じられるし、開かれた扉がかけがえのないものに思えるのだろう。
ガブリシャの言葉が心に響く。
「その寂しさって憧憬の思いと何か関係があるんじゃないかしら。ガラスの向こうの明かり……とっても近くに見えるのに、触れることはできない。わたしたちと灯りを隔てているものは何もないように思える。でも、実際には隔てられている」


トメク・サンタは、「幸せになること」について、デ・メロの言葉(初読の感想に書いた)を引いて「ここの家族(ボレイコ家)は……それができる」という。
しかし、さらに、ボレイコ家が特別なのは、彼らがそれぞれ、自分の孤独・寂しさと仲良くする術を知っているからだ、と思う。それが「幸せ」の条件の一つでもあるのかもしれない。
上の、ガブリシャの言葉は寂しいけれど、とても美しい。
この美しさは町中の孤独な人びとに向かって放射されているようだ。


サンタと天使が街じゅうを歩きまわり、一軒一軒のドアを叩く。
そうして、このシリーズの他の巻に出てきた重要な人たち(脇役にしてはあまりに色が濃いじゃない)の「その後」を読者も懐かしく訪ねていくようだ。
そうした家庭を訪問するサンタも天使も、それぞれの家族のことでやりきれない課題を抱えて、(家族ともども)孤独をもてあましているのだ。
やりきれない者同士が、手を差し伸べ合ってクリスマスのお祝いを言い合うときのほの明るさよ・・・
キオスクの隅っこの三人の孤独たちのテーブルの明るさ(決して手放しの喜びではない明るさ)も、そうだ・・・


このクリスマスイブ。
この町のあちこちで、寂しさが集まって、ささやかな灯りを掲げようとしているようだ。
開かれたドアは、寂しい心を招くドアのようだ。
そうして、何はともあれ、火のそばに来てあたたまろう。おいしいものをみんなで分け合った食べようよ。


大人やティーンエイジャーたちの足元を跳ね回る子どもたちの、人に寄せる気持ちはストレートで天真爛漫だ。
言葉が通じないことなどコミュニケーションのどんな障害になるというのかと、あっさり「自分語」で理解し合おうとする子どもたちに、参ってしまう。
大人と子どもが互いに補い合い、引き立てあいながら、一期一会の大切な時間を作って居るようだ。