天使で大地はいっぱいだ

天使で大地はいっぱいだ (子どもの文学傑作選)

天使で大地はいっぱいだ (子どもの文学傑作選)


春。サブの家の農園には十三棟のビニールハウスが並ぶ。
大きな農家、と思う。ということはやらなければならない仕事が山のようにある、とても忙しい農家ってことだ。
家族で経営する農家だから、6年生のサブだって、受験生のシドだって、学校から帰ってきたら一家総出で手伝うのです。
農繁期には、朝は暗いうちに起きて、畑に出る。それから登校するのだ。
四年生の妹だって、台所を任される。
それでもサブは時に考えるのだ。
「働けば働くだけくらしが楽になるのがあたりまえだとぼくは思うんだけど、やっぱりぼくの家も近所の人たちも、いぜんとしてびんぼうなんだな。これはいったいどういうことか・・・」
びんぼうって、なんなのだろうねえ。
両親は一日16時間も働いているって。それでも、このおおらかさだ。
ただでさえ大人数の家族(サブは五人兄妹の下から二番目)の食卓に、近所の人やサブの友だち、ときにはちょっと変わりだねの客人なんかも加わるのだけれど、屈託のない受け入れに感動してしまう。
屈託のない受け入れといえば、食卓だけではない。猫の手も借りたいくらい忙しい農繁期に、家族や正規の手伝いの人以外のお客人が、気負いもなく加わってせっせと働いているのだ。
お金では買えない、遥かに輝ける財産をもち、周囲に惜しみなくその豊かさを波及させている家族なのだ。


広い大地や川をのして歩くように遊び切るかに見えるサブたち。大人たちにさえ手を出させないほどに夢中になって喧嘩するサブたち。
涙が出そうなくらいにおおらかに天地に手足を広げているサブたち。
でも、それは無限に与えられた遊びの時間ではないのだ。
小さかろうが大きかろうか、年齢相応なりに一家の一人前の働き手として、力を尽くす子どもらが、忙しい一日の隙間に産み出した大切な遊びの時間なのだ。
寸暇を惜しんで夢中で遊びきる。わずかな時間を無限大に変えることのできる超能力をもっているんじゃないか。サブもサブの仲間たちも。
それはきっと家族から与えられた力なのだろう。(きっと彼の将来をも支えるはずの力)
働いても働いても貧乏だという農家の息子サブの将来の夢は百姓になることである。まぶしげにきらきらと夢を語るのだ。
これをびんぼうな暮らしというだろうか。来る日も来る日も働きづめの父さん母さんが、子どもらを見る目はなんて幸せそうなんだろう。