父さんの手紙はぜんぶおぼえた

父さんの手紙はぜんぶおぼえた

父さんの手紙はぜんぶおぼえた


オランダをナチスドイツが占領したとき、リーネケは12歳だった。
リーネケというのは本当の名まえではない。
ユダヤ人である彼女の一家は、身分を隠し、名まえも変えて、ばらばらになって、そう、家族の行方さえもそれぞれ知ることなく、
隠れて暮らすことになったのでした。
危険を逃れて点々とした後、リーネケを疎開してきた姪として預かり、家族の一員として大切に育んだのが、小さな村の村医コーリー夫妻でした。


ユダヤ人がつぎつぎに虐殺されていった時代に、彼女は幸運だった・・・とはいえ、それは当時のほかのユダヤ人の子どもに比べて、というだけのこと。
家族と離れ、自分の今日までの歴史を全て捨て、隠し、普通の日常を送らなければならない、ということが、12歳の子どもにとってどんなに残酷であるか。
自分のことを信頼してくれた友人たちにも本当のことを言えない、
同胞の苦しみを知りながら、同胞を目の前にして、やっぱり本当のことを言えない、
愛する家族はいったいどうしているのか、無事なのか、いつ会えるのか、それもわからない、
その不安を口にすることはおろか、顔に出すこともできない。
しかも、リーネケは実在する一人の女性。本当にあったことなのです、これは。
たぶん、たくさんのリーネケがオランダに、ヨーローッパに、存在していたに違いない。


定期的に届く父さんからの美しい絵手紙は、敵の目を欺く目的もあってか、小さな本の形をしていました。
カラーで挟み込まれた9つの手紙は、内容を知らなくても、その素敵さに夢中になってしまいます。
見ているだけで楽しくなるのです。きっと持っているだけで嬉しい、飾って楽しみたいと思ってしまう。
…でも、その手紙の一言一言、そして美しい絵の線一本、点一つに至るまで、全部愛娘リーネケのために心こめてしたためられたものでした。
離れて暮らすわが子に、一緒にいられない寂しさや不安、苦しさをこらえて、慈しみと愛情をユーモラスな絵と文章に変えて綴ったのでした。


リーネケを本当の家族として、危険で乏しい暮らしのなかで、細やかな愛情を注ぎ続けたコーリー家の人々に打たれる。
何度も胸が熱くなりました。
コーりー家をはじめとした多くの善意の人たち。
そして、ここに書かれていないたくさんの人々の善意と勇気がリーネケのような人々を生かし守り続けたのでした。
たとえば、父さんのあの美しい手紙は、どのようにして、どんな手から手を経てリーネケのもとに届けられたのか、
また、リーネケの手紙はどうやって確実に父の手に渡ったのか・・・
この本には名まえの出なかったたくさんの勇気ある善意が見え隠れしているのでした。


リーネケがまだ小さかったとき、部屋の明かりを消すのが怖かったと言います。
そのとき、兄のバルトが窓を開けて空を見せてくれたそうです。そうしたら、もう怖くなくなった。
真っ暗な空には数え切れない星が輝いていたから。
(このくだり、本の言葉を引用したくて、ページを繰ってさがしましたが、みつけられませんでした。細部のニュアンスは違っているかもしれません)


また、リーネケの友人クラ―スの言葉
「人間って良くも悪くも、いちばん仰天させられる生きものだ、とりわけ戦争のときは」


いつの戦争も明るい戦争なんてなかった。
暗いに決まっている。闇はいっそう深くなるのだ。
だけど、その闇のなかでとりわけて輝く星がある。仰天させられるほどの美しい勇気や善意もある。
しかもその善意は、たいてい隠されている。人の目に触れることはない。
ほとんどは名もなきまま、誰にも知られることなく(そんなことは望みもせずに)静かに強く、燦然とある。
暗がりのなかで、星をみつける。たくさんの星たちがいつの時代にもきっとあることを暗い夜空にみつける。
ホロコーストや戦争の本をなぜ読むか、といったら、星さがしのためかもしれない。