サレンダー

サレンダーサレンダー
ソーニャ・ハートネット
金原瑞人・田中亜希子 訳
河出書房新社
★★★★★


「ぼくは死にかけている――」というショッキングな言葉から物語は始まる。
病床で死を待つ20歳のアンウェル(ガブリエル)。
森のにおいのする荒々しい悪魔のようなフィニガン。
親友であり、同時に憎悪すべき敵。そして、決して長くは離れていられない二人。
何もかも正反対の二人の回想が交互に語られていく。


この本を読んだら打ちのめされる、きっと、と読む前から思っていました。
そして、やはり、感想を書けずにいます。
圧倒されました。言葉をなくしてぼーっとなってしまった。
どこから手をつけたらいいのか・・・
だって、これはもうあらすじなんて問題じゃない。
アンウェルの独白が、孤独が、押し込められた魂の悲痛さが、たまらなかった。


これ以上に虐待された子どもがいるだろうか。
型箱に入れられ、都合よく無視され、変形され、思うように跪かされ、すべての責任を押し付けて、押しつぶす。
この一家が町中から、ある意味一歩退いて眺められるような存在だったから、この子どもは、町中から無視される。
友達と呼べる人はいなかった。おとなの中にも子どもの中にも。
おまえはそのままで愛しいといってくれる人はだれもいなかった。
そして、ひとり、理不尽な責めを自分に課して、目を伏せ、黙って変形された型のなかになんとか収まっていようとする子ども。
・・・アンウェル。それが「よい子でいる」ことだったから。


アンウェルの前にフィニガンが現れる。
縛り付けられた自分のかわりに、どこへでもいく、自由で大胆で、森のにおいのするフィニガン。
天使のようにいい子でなければならない自分のかわりに、悪魔のように残酷になれるフィニガン。
自分を守る、自分を解放する、アンウェルのなんてけなげで、悲しい、抵抗であったろう。


アンウェルとフィニガンの独白が交互に繰り返され、
その繰り返しの中で、死にかけているアンウェルの幼い日の回想がひとつひとつ紐解かれていきます。



★ここから、物語の内容に触れます。これから本を手にとるかたは読まないでください。





「骨がみつかった」という言葉が町をひそやかにかけめぐり、それが合図になるように、フィニガンが動き出す。
アンウェルの病室に近づいてくる。二人を結びつける犬、サレンダーを連れて。
アンウェルはじっとそれを待っている。
フィニガンはアンウェルの中から現れた。
だけど、しだいに強大になっていく。あまりに強大に。アンウェルにはもはやどうにもならないほどに。
アンウェルはフィニガンと戦う決心をします。

>きみはいつもぼくを下に見ていた。ぼくを天使にしたことで、無害にしたと思っていたんだ。だけど、きみは忘れている。天使の中には戦士もいるんだ。
あまりにもあまりにも惨めな短い人生だったではないか。いったい何に怒りを向けられるだろうか。
しかし、彼は戦う決心をしました。命をかけて。
誰が知らなくても、誰にも知られなくても、たったひとりで決心したこと。
そして、最期までその戦いをゆるめないこと。
彼にとって、この決心は勝利だと思いたい。


虐待、放火、殺人・・・残酷な描写が続く物語でした。
本来なら目を覆いたくなるような悲惨な物語であるはずなのです。
アンウェルの惨めさも、フィニガンの暴走も、大人たちの身勝手さも。
どれもこれも、苦しみながら読むべき物語ではないでしょうか。
なのに、この本から感じるのは、アンウェル・フィニガンの透明感、澄み切った美しさ、なのです。
美しい・・・なぜなのでしょう。
ハートネットの文章がまず美しいのですが、それ以上に、フィニガンが美しいのです。
フィニガンはアンウェルから出てきた存在です。
厭うべき存在です。
だけど、彼の力の中には野生の輝きがある。森の馥郁と香る命がある。輝かしい空気に包まれているのです。
アンウェルが普通だったら手に入れていたはずのもの(恋、憧れ)、安心して手を伸ばす権利のあるすべてのものを奪われたまま、見張られながら、じっと息をひそめて見た夢の美しさ、儚さのようなものが、作品全体を覆っています。
最後まで読み終えて、この作品の力に圧倒されながら、
一方で、この美しい透明感が、心のすみずみにまで広がってくるのを感じずにいられませんでした。