ベルおばさんが消えた朝

ベルおばさんが消えた朝ベルおばさんが消えた朝
ルース・ホワイト
光野多恵子 訳
徳間書店
★★★★★


「『ベルおばさんが消えた朝』は、バージニア州のアパラチア山中ですごした、わたしの子どものころこの思い出をもとにした作品です」と、巻末の作者ホワイトさんの言葉「日本の読者のみなさんへ」の冒頭に書かれていました。
だからでしょうか。
この本の風景が懐かしくて懐かしくて・・・
1953年のバージニアの炭鉱町に、もちろん私が関係あるわけないのです。でも、作者が、自分の12歳の夏をどんなに大切に思い出しているのか、伝わってくるように思いました。そして、作者の子供の日々への郷愁が、わたしに伝染して、せつないくらいに懐かしくなるのです。私自身が自分の子供の日々を思い出す気持ちと一緒、ということで。
夏の夕暮れの町、親たちが子供たちに帰ってくるようにと呼ぶ声、
人生のなかの一日だけもう一度味わえるとしたら、(大イベントではないけれど)今日の日を選ぼう、と密かに思うこと。
毛布にくるまって、夜のツリーハウスで並んで語り合う親友同士。夏の夜風に乗って聞こえてくる歌声・・・
これだけで、もう胸がいっぱいになってしまう。

こういう舞台を据えて、少女と少年が現れます。少女の名はジプシー。少年はウッドロー。ともに12歳、いとこ同士。
ふたりとも、見た目も育った環境もちがう、でも、家族のことで深刻に悩んでいました。
どうしようもない苦しみから逃れるために、(自分でも意識しないうちに)考え出した方法がそれなのだ、と思うと、そのけなげさに胸がいっぱいになります。
でも、いつか自分の気持ちに向き合い、乗り越えなければならないときがくる。
そんなときに自分と同じように悩んでいる友がいることを知り、互いに相手の苦しみを理解し、相手の存在に励まされながら、
自分の苦しみに向かいあい、乗り越える勇気を持てたことがうれしかった。

家族って。
ときに、気づかないうちに愛する誰かに、ひどく残酷な仕打ちをし、気づかないうちに誰かを深く傷つけていることがあるのです。
だけど、その傷ついた心を救ってくれるもっとも強力な味方もまた家族かもしれないのです。

ジプシーもウッドローも、それから彼らの家族も、とても魅力的です。おじいちゃん、おばあちゃん。ジプシーの母と義理の父。
それから盲目のベニーさん。
この本のなかには、見た目と真実の姿のことが何度も出てきました。
それぞれの人が、他の人にとって、どんな風に見えていたのか、そして、その『見た目』の奥にどんな豊かで広い世界が宿っているのか、それが読み進むに連れてわかってくる過程が美しい。

特にベルおばさん。
ウッドローのお母さんであるベルおばさんは、物語初めに消えてしまい、この本の中には実際には出てきません。
でも、彼女を愛する人々(特にウッドロー)によって語られる姿はとても魅力的で、わたしはどんどん惹かれ、とても好きになりました。詩を愛し、素晴らしいピアノの腕を持ち、想像力が豊かで、たくさんのお話を作っては、息子といっしょに自分たちの世界を豊かに変えていました。
それから亡くなったジプシーのお父さんについても、なんと美しいイメージで語られたことか。
世間一般の『見た目』がある一方、その人を愛する人、その人をかけがえなく思う人たちの目を通すと、その人の美しい面がこんなにも豊かに魅力的にイメージされるのです。
語られる言葉の数だけ、その人に対する人々の愛の深さを知ったように思いました。

最近は、重たいYA作品ばかりを読んでいたのですが・・・もちろんこの本のテーマも重いのですが、その重たさを包み込み、見守っている世界が、こんなに爽やかで美しい、ということにしみじみと幸福になりました。