第八森の子どもたち

第八森の子どもたち (福音館文庫)第八森の子どもたち
エルス・ベルフロム
野坂悦子 訳
福音館文庫


第二次大戦末期、ナチスドイツ占領下のオランダ。
11歳のノーチェとお父さんは町を追われ、人里離れた農家クラップヘクにたどりつきます。
温かく迎え入れられたノーチェ父娘は、その冬を戦争が終わる五月まで、ここで過ごしました。
作者は、戦争のあった少女時代、ノーチェと同じように町を離れ、クラップヘクのような農家で過ごしたそうです。
これは、その思い出から生まれた物語だそうです。


主のおやじさんもヤンナおばさんも懐の深い人で、
この家には疎開家族や、様々な理由で追われ、隠れなければならない人が身を寄せたり頼ってきたりしていました。
乏しい食糧ですが、飢えて訪れる人には誰にでも家族と同じように平等に分けていました。
「わしらはキリスト教徒だな、母さん」というおやじさんの言葉が印象に残ります。


わたしは、この本を読みながら、
同じ時期にアンネ・フランクの一家を匿い支援しつづけたミープ・ヒースさんたち
(そして同じことを公にすることなく黙々と実行してきた多くのオランダの善意と勇気の人々)を思い出していました。
ミープさんの
「わたしはヒーローではない。たんに、あの暗い、恐ろしい時代に、わたしと同じようなことをした、あるいは、もっと多くの―はるかに多くの―ことをした良きオランダ人たちの、長い、長い列の端に連なっているにすぎない」
という言葉がよみがえり、ああ、ここにも良きオランダ人がいるじゃないか、と思ったのでした。
(ミープ・ヒース著「思い出のアンネ・フランク」感想こちら


巻末の「この本を読んでくださった日本のみなさんへ」のなかで、作者は言います。
「子どもというものは、まわりでおそろしいことがおきていても、遊んだり学んだりしながらふつうに暮らしているものです。
月日が経ち、大人になってはじめて、自分がまだ小さかったときに経験したことが、「ふつう」の子ども時代とはちがっていたことに気がつくのです。」


その言葉どおり、ノーチェの心のうちにはわくわくすることや楽しいこと、美しいものが満ち満ちています。
台所を手伝うことや、町へ配給のパンを買いにいくこと、
牧場に牛を放すのや脱穀を手伝ったり、牛の赤ちゃんのお産を見守ったり・・・
預かり子の赤ちゃんの世話に心をこめたり・・・
何事にも好奇心旺盛で、作男のヘンクが巻く煙草をこっそりとエバート(この家の息子)といっしょに味わったり、
エバートといっしょに屋根に登ったり・・・
かくれんぼやそり遊びを楽しみ、エバートの弟のへリックにお話を聞かせてやり・・・
さまざまな考えをもったたくさんの大人に揉まれ、
ときにはいやな思いをしたり理不尽なことに対する怒りに駆られたりしながらも、
ヤンナおばさんの、まるで実の娘に対するような温かい見守りのなかでのびのびと暮らしているのです。
すでに最後に味わったチョコレートの味を忘れてしまい、バナナがどんな形をしていたかも正確に思いだせないというノーチェですが、
その日々は、牧歌的でさえあるし、温かな喜びに輝いているようでした。
ノーチェは言います。
「戦争ってなんだかへんね。すごくいやなこともあるけれど、みんなといるから、楽しいことだってあるもの」


でも、訳者あとがきに書かれているように、
「戦争が楽しいもの、といっているわけではない」し、「作者の思いがまったく別のところにあることは明らかです」
と言う言葉も、まさにそのとおりなのです。
実際、夜ごとの空襲におびえ、「第八森の子どもたち」というタイトルの由来になったあの歌が残酷な結果に終わったこと、
たくさんの人々が出入りすることの不便や、日用品や食糧の不足、時々やってくるドイツ兵の専横・・・
声を上げることもできず、不安と怒り、悲しみを押し籠めた日々・・・
占領下だということを嫌というほど見せつけられるのです。どきどきしながら、
過ぎされ過ぎされ早く過ぎされと願ったさまざまな場面もありました。
クラップヘクが否応なしに戦争に巻き込まれていく部分を読むのはつらいことでした。


けれども、徒にドイツ兵を悪しざまに書いているわけではないのです。
へンクの荷馬車に乗ったドイツ兵が、その軍服を脱ぎさえすれば人のよさそうなおじさんに見えること、
最後の戦闘を前に塹壕を掘りながら「母さん・・・」と涙を流すドイツ少年兵。
ドイツの軍服を着ているハンガリー人の捕虜たちと焼いたジャガイモを分け合って食べる場面の束の間、満ち足りた温かい時間。
そして、内緒で屋根の上にのぼったノーチェとエバートが森のむこうにドイツを見る場面を忘れられません。
(クラップヘクは国境の近くにありました)
「ドイツってきれいなんだ」とノーチェは初めて気がつくのです。
戦争によって敵味方に分かれてしまった人たちですが、
同じ姿をして、同じ優しさを持ち、美しいものを愛する、自分たちと、そして自分の愛する人たちと、
同じ人間なのだ、ということをこんなに優しい言葉で語って聞かせてくれる。
占領下のオランダの物語を、それを経験したオランダ人の作家がこのように書いてみせてくれることに感動します。


戦争は悲惨なもの。
そんななかで、ひとときの笑顔と思いやりを忘れないこと、そして、太陽のぬくもりを喜び、緑の輝きを嬉しいと思うとき。
だれかの悲しみ・痛みに寄り添い、誰かの喜びをともに笑いあえる人々がいる。
そういう人たちの豊かさ、勇敢さに、ただただ言葉を失くしていました。
やがてやってくる終戦
平和の日、学校にもどったノーチェが、クラップヘクの台所を、あの日の懐かしい人々の姿にじっと思いを馳せている。
わたしもいっしょに振り返ります。
平和も豊かさも、人の心のなかにあるのだ、そういう人たちといっしょにいることにあるのだ、と思いながら。