千年の祈り

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)千年の祈り
イーユン・リー
篠森ゆりこ 訳
新潮クレスト・ブックス
★★★★


北京生まれの作者が、アメリカに渡り、母語ではない英語で、中国の小説を書く。それを日本語に翻訳して、私たち日本の読者に手渡される・・・
まず感じたのは、翻訳者のかたはどんなに大変だっただろう、ということでした。
あとがきにも書かれていましたが、中国独特の単語やことわざなど。このあとがきを読みながら、英語で表現(?)された言葉から中国語の単語や言い回しをさがすなんてまるでクイズだわ〜と思ったのでした。。
そして、この本を手にしたわたしは、まるで違和感なく、中国とアメリカのあいだを主人公たちとともに行き来しているのです。感謝です。

10の短編は、中国が舞台の物語、あるいはアメリカに渡った中国人の物語です。
どの物語も明るい話ではありません。この先に希望が見える話でもないのです。
苦しく打開できる当てもない場所に置き去りにされた主人公たちに温かい目を注ごうという気配もないのです。
ひたすらに語られる物語。そこから何を受け取るも受け取らないもご自由に、と冷たいほどにそっけなく投げ出されたような物語集でした。

親と子、夫婦、恋人たち、友人たち・・・それぞれ心を通わせるべき相手がいるのに、通い合わない。誰が悪いのでもないのに、いっしょにいればいるほどに自分が救いようのないほどにひとりぼっちであることを確認するしかないのです。
だれも手を差し伸べることはできない。
いえ、たとえ死んでも誰からの手もいらない、簡単に理解したなんて言わせない、と突っぱねる誇りのようなもの。それは、物語の中だけじゃなく、読者にさえも向けられているような気がします。
それほどに深い孤独。そしてその孤独に深入りする厳しい生きた方に、圧倒されてしまいます。

「あまりもの」の林ばあさんは、まだ51歳です。なのに、ばあさんとは。彼女のなかの一見おろかなまでの究極のやさしさをたくましいといわなくてどうしよう。
「黄昏」の蘇夫妻は、うまくいっていたのは彼らがともに同じ不幸を抱えていたからで、一見幸福を手に入れたように見えたとき、歯車が狂いはじめる、という皮肉。それに気がついてもどうしようもないのがたまらない。
「ミス・カサブランカ」のラストの二行に篭められた強い意志に出会ったときの衝撃は忘れません。
「千年の祈り」の父と娘のどうにも埋められない溝。その溝の存在に気がつかない残酷さ。その溝の存在を鼻先につきつけるしかない残酷さ。千年の祈り、か。その途方もない年月に篭められた希望より絶望・・・

・・・どの物語も劇的な幕切れが用意されています。
孤独を適当にごまかせる慰めなんてここにはないんです。みんなそんなものほしがっていないんです。そんなことしたら主人公たちに軽蔑されるでしょう。

決して愉快になれない物語をなぜ、ひたすら読んでしまうのでしょう。引き込まれてしまうのでしょう。
それは、中途半端なハッピーエンドで物語を曇らせない潔さと厳しさに惹かれたから、かもしれません。ええ、ハッピーエンドなんて、そんな甘いものは介入する余地はないんです。いっそ清清しささえ感じます。
人生の抜き差しならない一瞬を垣間見てしまった、そして、見た以上はただじゃすまないぞ、そんな気がして、気持ちが引き締まるような気がしています。