殺人者の涙

殺人者の涙 (Y.A.Books)殺人者の涙 (Y.A.Books)
アン=ロール・ボンドゥ
伏見操 訳
小峰書店
★★★★


舞台は、「チリの最南端、太平洋の冷たい海にノコギリの歯のように食いこむ地の果て」「何もかもがごつごつと荒れ果て、風に削られ、石さえ苦しげに顔をゆがめている」荒野にぽつんと建つ「灰色の壁をした小さな建物」ポロヴェルド農場。
そこにやってきた旅人はアンヘル(天使)・アレグリア歓喜)という名を持つ殺人者。
この家の子どもパオロに関する記述は、「パオロはまだ人間に成り切っていない、原始のささやきのような子どもだった」
・・・これだけで、もうぞくぞくと読む喜びが湧き上がってきました。

しかし、読み始めるやいなや、いきなりの残酷シーン。
・・・一瞬ひるむのですが、不思議なことにいやな気持ちにはなりませんでした。なぜ。
この本の不思議な静けさのせい。そして、寓話めいた雰囲気のせい。
・・・アンヘルという一見皮肉な名もそうですが、不思議な何かの象徴のような言葉がたくさん出てきます。
数少ない登場人物たちは、ひとりひとり、この物語を語るための重大な寓意を負っているようです。
そして彼らをとりまく物や動物達も、読み終えてみればそれぞれに示唆を持って物語上にざっくりと散りばめられているように思うのです。
これは深い恵みに満ちた物語ではないだろうか。(皮肉ではありません)
眠り姫が生まれたときに妖精たちがひとりひとり恵みをもたらしたように、
アンヘルという一番祈りから遠い男に、この辺境の地で出会った人間が、ひとり、ひとつずつ恵みを与えたのだ、と思うのです。

ともに暮らすことになるひとりの男と一人の子供。
「人間に成り切っていない、原始のささやきのような子ども」だったパオロが、アンヘルによってもたらされた過酷な変化を受け入れることで「人間」として目覚めていくが、アンヘルもまた、初めて自分以外の大切な人間と出会う。この二人が出会った日が誕生の日になぞらえられるのもなんと示唆深いことか。「生きるのってなんて難しいんだろう」という無邪気なパオロの言葉のなかになんという真実が詰まっていることか、と思います。
そしてここでアンヘルは最初の恵みを得ます。これはパオロから与えられた「愛」。

ルイスがもたらした「文字」は二つ目の恵み。
文字が言葉になり、詩となり、命となっていく・・・なんと力強い語りかけでしょう。文字の持つ力に圧倒されます。ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」やアゴタ・クリストフの「文盲」を読んだときの衝撃を思い出すのです。

>この蛇のような文字が書けるようになったらどれほどの力が手に入るかを、パオロはうっすらと気づいていた。だがそのかわりとして、きっと何かを失うだろう。
三つ目の恵みは、リカルドから「芸術」を。生きる喜びを。リカルドとの日々はこの物語の中のもっとも美しい部分です、それこそきりきりと胸が痛いほどに。

食べられて着られて寝られて・・・それだけでは人として足りないのだ。
アンヘル・・・。
愛を知り、文字を知り、芸術の豊かさを知り、大きな力を得ます。ナイフでは決して得られなかった力。そのために大きな喜びが生まれますが、同時に深い苦しみもまたもたらされるのです・・・
物語は静かですが、この土地のように厳しく、決して容赦しません。

命。
人として在ること。
愛すること。
信じること。
その光と影、喜びと苦しみ、愛するゆえの孤独、喪失と獲得・・・人の心の中の相反する感情。
物語は人にとって良いこと悪いことを平等に描いていきます。公平なのです。他人にはそうは見えなくても・・・そして、一足飛びに天秤がつりあわなくても。
あまりの苦しみに、こんな皮肉があるか、こんな理不尽なことってあるだろうか、とわめきたくもなるのですが、取り返しのつかない不幸が決してそれだけで「終わり」ではないのだ、と知らされます。
言葉にするなら、たぶん「希望」。これが最後の恵み。最後までこんなすばらしい種を眠らせていたなんて。
救いようのない生に見えたものが、ひとつずつ希望にかわっていく・・・まだまだ痛みが余韻のように緒を引いているというのに、胸の奥から爽やかに希望が広がってくるのです。

・・・この本のことは、饒舌に語れば語るほどに最初に受けた感動からどんどん離れていくような気がします。それが不安で、語り足りないような気がして、また語る・・・
ほんとうは黙っているべきなのかもしれないです。この本の雰囲気そのままに静かにしていたほうがいいんだなあ、と思います。でもやっぱり語りたい。

雪の日に読まれる詩。背をむけて流される涙。たくさんの本が詰まった本箱。初めて聞く音楽。死んだ子供達が訪れて野で共に遊ぶ朝。小さな針金で壁に彫って繰り返し書かれた名前。
蘇る一つ一つの愛しい場面・・・

この一見ぞっとするタイトルのなかにこんな物語が眠っていたなんて。そして、これが児童書(YA)だということに素直に感動します。