『夢みる人』 パム・ムニョス・ライアン(文)/ピーター・シス(絵)/原田勝(訳)

 

夢見る人

夢見る人

 

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この作品は、チリの詩人パブロ・ネルーダの子ども時代の経験をもとにした創作とのこと。


ネフタリ少年は、病弱で無口な、夢見がちな少年だった。
彼の父は、それが気にいらない。
息子たちの成功(医師や実業家となること)を期待する父は、子どもたちを自分の思い通りにしようと、威圧的だ。
子どもたちの小さな夢も喜びもいとも簡単に踏みつぶしてしまう。子どもたちは父の影におびえ、委縮する。
父の姿は、当時の社会で起こっている不正義や少数民族への差別の雛型みたいだ。
恐怖によって、「それはおかしい」と声をあげようとする人びとの口を塞ごうとする、踏みつぶそうとする社会の。


ネフタリ(彼の兄も妹も)の、夢も望みも、幼いころから何度も父に踏みつぶされ、どんなに理不尽で残酷な命令にも、おとなしく従わされてきた。
けれども、踏みつける父の足元から、ネフタリの想像の世界は豊かに広がり、父の思いとは逆の方向に伸びていく。
やがて詩人となる彼は、暴力に暴力であらがうことはしなかった。
憎しみに憎しみであらがったりはしなかった。
本の扉には、パブロ・ネルーダの言葉が記されている。
「見るがいい――
 ここには、きみたちにとって危険なものは
 ひとつしかない。それは……」


物語は、絵と文が緑色のインク(ネルーダが詩を緑のインクで描いたことにちなむ)で書かれている。
パム・ムニョス・ライアンの文章とピーター・シスの絵とが手を結び、ネフタリ少年の思い描く夢の世界のなかに、読者を飛ばす。はるかな広がり。
激しい力では、決して征服しつくせないものが、ここにあるのが見える。
それはきっと詩の種みたいなものじゃないか。
物語の中では、少年の問いかけになって、芽をふく。
「どっちがするどい? 夢をたちきる斧? それとも、新たな夢への道をひらく大鎌?」
「空を飛ぶ術を習う者たちの耳に ワシはどんな知恵をささやく?」
「人を守ってくれる壁は なにでできているの? 人をとじこめておく壁は?」
それはね、それはたぶん……と答えをみつけはじめるところから、詩は始まるのではないか。


また、その理由や正体を明かさないまま、物語のなかに置かれた、いくつかの小さな、でも忘れられない美しいエピソードのあれこれは、どんな物語を秘めているのか、と想像しないではいられない。
たとえば、植え込みを越えてきたひつじのおもちゃや、トランクの奥の手紙の束のことなど。
ここにも、詩(物語?)の種がそっと撒かれている。
芽を出させるのは、読者それぞれではないだろうか。


彼を守り育む、愛情深い人々は、強いものにすすんで立ち向かおうとはしなかったけれど、決して折れたり、その場を離れたりはしなかった。黙ってただ、いるべき場所にじっと立っていた。その芯の強さに打たれる。


ネフタリが、家を離れるとき、彼を威圧し続けた父のマントと、彼を愛し見守ってきた継母のショール(少数民族マプチェ族の作)を譲り受け、両方をまとって旅だつ姿が、心に強く残る。


ネフタリが、「パブロ・ネルーダ」という新たな名前を得るときの記述(と、その絵)も印象的だ。一羽の美しい鳥がとびたつよう。


巻末に置かれたネルーダのいくつかの詩は、作者パム・ムニョス・ライアンによって吟味され、選ばれたもの。読んでいくと、物語のあれこれの場面が蘇ってくる。