点子ちゃんは、お金持ちのお嬢さんだけれど、両親には点子ちゃんと一緒に過ごす時間がなかった。
そのため、点子ちゃんの世話は養育係のアンダハトさんにまかせきりになっている。
アントンは、母一人子一人の家庭に育った。貧乏だったが、母子は強い愛情に結ばれている。その愛情が強すぎることは問題だけど。
今はお母さんが病気だから、お母さんの介護や家のことすべてをアントンひとりでこなしている。
『ぼくが子どもだったころ』の後に、この本を読むと、アントンがエーリヒ・ケストナー自身と重なって見えるときがあるけれど、点子ちゃんもエーリヒのいとこドーラにときどき重なる。
ドーラは、お金持ちのフランツおじさんの一人娘だったが、ドーラの母リーナはおじさんの手伝いで忙しかったので、ドーラの世話を家政婦のフリーダにまかせていたようだ。
お金持ちの一人娘も、貧乏な一人息子も、それぞれ問題を抱えている。
境遇の違う二人が、出会い、親友になり、その子にしかできないやり方で、相手を苦境から何とか助けてあげようとするのが素敵だ。
しかし、水面下でじわじわと大きな事件が進んでいる。二人の子どもがどのように関係してどのように解決するのか、見ものである。
表面的にどんなに変わっていたとしても(例えば、想像力豊かな点子ちゃんの芝居がかった言葉や行動。これも極端な家庭環境に理由の一端があると思うと手放しで笑えないのだけれど)、子どもたちのまっとうさに元気づけられる。
物語のなかで、子どもに託す作者ケストナーの願いが、読者に手渡されるけれど、(大人も)ちゃんと受け取れただろうか。
1930年頃、だんだん暗くなっていくベルリン。
暗がりにちっちゃくても明るいものが点るよう。きっとあちらにもこちらにも。
大切に守り育てていきたいね。
ところで。
点子ちゃんの犬ダックスフントのビーフケのマイペース振りが楽しい。散歩を拒否して、しゃがみこんで動かなくなる姿(そして引き摺られて滑っていく姿)を思い浮かべて、既視感で笑ってしまう。その現象を「そり」と呼ぶのもおもしろい。
「この子ったら、またそりになっちゃて」
