『ホフマン短編集』 E.T.A.ホフマン

 

『クレスペル顧問官』『G町のジェズイット教会』『ファールンの鉱山』『砂男』『廃屋』『隅の窓』の六つの物語が収められている。
怪奇、幻想、不思議で、不気味で、暗い場所に連れてこられたよう。それでいて、まるでドアの隙間に見える明かりのように、美しさや哀しみが漏れてくる。
簡単に六つの物語に共通するものをまとめてはいけない、と思うけれど、六つ合わせて、一つの長い道を旅しているようにも感じる短編集だった。


主人公ではないけれど、鮮かな印象の、異形といってもいいくらいの容貌の男が出てくる。ぎょっとするような奇抜な装いを好み、行動はほとんど奇行だ。
『クルミわりとネズミの王さま』の、あの不気味な名付け親、ドロッセルマイアーが実は別の姿に変わって何度も登場しているような気がした。
その人は、何か天才的(ときには悪魔的)でマニアックな才能を持っている。大きな力をもっている。
もうひとつ、彼が持っているのは、美しく儚いものに対するあこがれだ。持てる力で自分のあこがれを手もとに求め、支配しようとする。自分のもとに留め置きはするけれど、触れることさえ叶わない。それだから、決して満たされることはない。
どの物語にも似た人が現れる。作品によって、違いはあるけれど、おおまかに通じ合っているのは、そういうもののように思う。


主人公(たち)は、常識人だった。何も見なければ、そこそこ幸せに人生を全うすることができたのに、一度、見てはならないものを見てしまったために、もう元の人生に立ち戻ることはできなくなってしまう。
この主人公(たち)が六つの物語を旅している。まるで狂気の道のよう、苦しい道行きは不幸であるようで、それ以上の幸福でもあるようだ。たとえ、どこに通じているとしても。彼の旅の道連れは、悪魔なのか、天使なのか。
六つの物語を読むことは、次々に六つの曲がり角を通っていく魔法の旅。万華鏡みたいに、回りの景色がずんずん変わるので目が離せない。


最後の物語だけがちょっと雰囲気が違う。少し高いところから、市井を眺める。どうってことのない町の営みは、もしかしたら、今、魔法が解けたばかりなのかもしれない。目覚めの苦い朝。だけど、またいつでも魔法は始まるよ、という風情もある。