『僕のワンダフル・ジャーニー』 W・ブルース・キャメロン/青木多香子(訳)

 

僕のワンダフル・ジャーニー (新潮文庫)

僕のワンダフル・ジャーニー (新潮文庫)

 

 

 

この本は『野良犬トビーの愛すべき転生』(未読)の続編だ。
最初、彼は、イーサンの犬だった。
彼トビー(と呼ぼうと思う。バディ、モリー、マックス、でも、そもそもの最初の名前はトビーだったから)が、今、CJのことを「私の少女」と呼んでいるように、前巻では、イーサンのことを「私の少年」と呼んで、ともに生きてきたのだろう。
トビ―は、何度も生まれ変わった。犬種も性別も、そして共にいる人間に期待される役割も、その都度変わったけれど、前世の記憶をもったまま、「私の少年」を全力で求め、愛してきたのだろう。
そのイーサンもすでになく、トビーも、まもなく永遠の眠りにつく。イーサンとの日々を振り返り、自分のこの世での仕事は終わり、もう二度と転生することはないだろう、と思っていた。
でも、小さなCJ(クラリティ)に会ってしまった。彼女はイーサンの孫娘だ。トビーは、イーサンが彼女の世話をしてほしいと願っているのを、感じた。
こうして、トビーは転生する。CJとの日々が始まる。


犬の目線で物語は進行する。
犬が見たまま、聞いたままの情景が描かれる。人間たちの会話も聞こえたままに書かれているが、そこから読者が得られる情報を、犬も得ているわけではない。犬は、聞こえた事をそのまま理解しているわけではないから。
会話のなかに自分の知っている名前がまじればしっぽを振るし、よく聞かされる言葉もコマンドも理解できる。だけど、時には人間の表情や聞きかじった言葉、情景を総動員しながら、情報を取り違えもする。
大切な人を喜ばせようとか、助けようと思って、収拾のつかない状況をつくりだしてしまったりもするのだ。
そのさまざまなエピソードには、思わず微笑んでしまう。困ったことになったとしても、犬の気持ちは愛おしいじゃないか。


トビーの目を通して、一人の女性の人生をわたしは読んでいるのだ。
よちよち歩きの幼児期からティーンエイジャーへ、大人の女性となり、やがて老年を迎えるCJ。
自分以外の誰も愛することのできない母親の下で育ったため、彼女は、困難な問題を多く抱えていた。彼女の成長はサバイバルだったし、誰かを(自分自身を含めて)愛することさえも、学ぶ必要があった。
人は変わっていく。変わることができるのだ、ともいえる。
でも、トビーは、最初から最後まで変わらない。ぶれない。(この本のなかでは)四回生まれ変わり、外側の姿はすっかり変わってしまうのに、その愛は決して変わらない。目的は常にCJを守ること。CJのそばにいること。
ただまっすぐに、たった一人の「私の少女」を愛する、通算四つの生涯。
全身で全力で、愛し続ける。
その姿に、打たれる。