- 作者: フェルディナント・フォン・シーラッハ,酒寄進一
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2011/06/11
- メディア: 単行本
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「高名な刑事事件弁護士である著者が現実の事件に材を得て、異様な罪を犯した人間たちの哀しさ、愛おしさを鮮やかに描きあげた珠玉の短編集」
と、カバーの折り返し部分に書かれている。
そうだったのか。
全ての短編作品の語り手「わたし」は、その事件を担当する弁護士なのだけれど、つまり、それは作者自身だったのか。
事件は猟奇的ともいえるようなものがほとんど。
あるいは、その事件に関わった人物がいろいろな意味でちょっと目を引くような行動をしていたり、特殊な経歴を持っていたり。
事件のあらましだけで、充分センセーショナルなのだけれど、
作者は、主にその容疑者にスポットライトをあて、生い立ちや内面を丁寧に語っていく。
まさに、「人間たちの哀しさ、愛おしさ」が浮かび上がってくるのです・・・
恐ろしい物語ばかりではない。さまざまな「犯罪」の物語なのに、希望を感じる物語だってあるのだ。明るいユーモアを感じる物語だってあるのだ。
一言で「犯罪」といっても、そこから、本当にいろいろな物語に広がるから、予想はつかないのだ。
人間って不思議。
・・・そして、やっぱり、なぜだろう。どんなに美しい物語、おもしろい物語であったとしても、底の底には、不気味なものを湛えているような気がしてしまう。
「犯罪」から始まる物語であるからかもしれない。
ものすごい場面がたくさんあった。勝ち割られた頭部からはみ出した脳みそ、えぐられた目のあったところからあふれた繊維・・・
もう、目を覆いたくなるような。
それがそのまま、人間の内なる心に重なる。内に密かに隠していたおぞましい心が、体の外にはみ出して見えたような気がしてぞっとする。
人間というものは、不気味で怖ろしいもの、信頼できないもの、そんなイメージが、じとっとした湿り気を帯びて、全編に横たわっている気がする。
ここに、現れる愛や悲しみは、暗がりに灯った束の間の薄暗い光に似ている。
「タナタ氏の茶碗」は一番恐ろしかった。最初から最後までずっと怖ろしかったし、もっと恐ろしいことが起こるのではないかとびくびくしながら、読んでいた。
もう大丈夫かな、と思ったところで、なんというか、冷たい手に足首をつかまれたような気がした。
そして、静かに地面の下に引き込まれていくような恐怖を味わったのだった。
意味がわからないのは、「緑」の終わりかた。
あの一言には、いったいどういう意味があるのだろう。教えてほしいです。
隠された意味があるのかな。ドイツの人にはわかるのかな?
それから、この本の一番最後に書かれた言葉
「Ceci n'est pas une pomme. これはリンゴではない」
いきなり、なんの前触れもなく現れたこの言葉は、いったいどういう意味なのだろう。
意味不明の不思議な言葉などもまた、この本の不気味な仕掛けの一つのような気がして、そこはかとなく怖いような気がするのでした。