メイク・ビリーブ・ゲーム (SUPER!YA) リアノン・ラシター 乾侑美子 訳 小学館 |
それぞれ二人ずつこどものいるピーターとハリエットが結婚して、こどもたちは4人兄弟になった。
ローリー、キャトリオーナ、キャスリン、ジョン。
一緒に暮らすようになってうまくいっているとは言い難い。二人の少女キャトリオーナとキャスリンは、激しくいがみ合っていた。
そもそものきっかけは、二人がこれまで共に「キャット」と呼ばれていたこと。
一軒の家に二人のキャットはいらない。自分の名前を手放して相手のものにするなんて許しがたいし、同じ名で呼ばれることも認めない。
二人の少女のいがみ合いにより、この家族は一日たりとも平和に過ごせる日はありませんでした。
そして、この夏、家族はばらばらな気持ちのまま、それでも一緒に休暇を過ごすために、湖水地方のある大きな屋敷にやってきたのでした。
この屋敷に家族が到着したとき、眠っていたひとつの恐ろしいゲームが動き始めます。
メイク・ビリーブ・ゲーム=ごっこ遊び。それは、昔、ある三人の少女によって始められたゲームでした。
最初は、ほんとうにただのごっこ遊びだったのです。
ただ、三人が三人とも満たされない強い思いを、このゲームに託していたのかもしれない。
その思いの強さが、何かを目覚めさせ、ただのゲームにこの世ならぬ命を与えたのかもしれません。
湖水地方。その名を思い浮かべるだけで、すーっと気持ちの良い風を感じます。
ランサムの物語の、光り輝く夏を思い浮かべます。
そのイメージをがらりと塗り替えられたような気がします。
湖水地方を舞台にして、黒々とした不気味な物語がはじまりました。
キイワードは名前。
名前をめぐる物語をあれこれ思い出します。
まずゲド戦記。それから千と千尋の神隠し。
どちらの物語からも、名前には大きな力があるのだと知るのです。
名前は、その人自身であり、その名を失う、ということは、自分自身まで失ってしまうことなのだ、ということ。
名前を失うことは、もしかしたら、ひとつの「死」ともいえるかもしれません。
この物語の中でも、名前は、すごく大きな意味を持ちます。
「名前を食う」という言葉は奇妙だけれど、すごく不穏なイメージがある。
人間を外箱だけにして、中身を空っぽにしてしまうようなイメージです。
どんなことが起こるのかわからないけれど、外箱が、中身なしで、もとの形を保てるとは到底思えないのです。
そう思うと、たかが名前、とは言えないし、
呼び名の問題で二年半に渡って憎みあい続けた二人の少女の気持ちもなんとなくわかるような気がします。
知らない間にじわじわと始まり、ゆっくりと押し寄せてくる正体の知れない恐怖。
本当は何が起きているのか。なぜ起きたのか。なぜこの家族なのか。
本当はホラーは苦手だけれど、読み始めたら、たくさんの「なぜ」や「何」が気になって気になって。読む。
途中でやめられない! こわいけどおもしろい!
だけど、終盤は、ちょっと急ぎすぎました?
これまで丁寧にゆっくりと広げた物語をバタバタとあわただしく折りたたんでしまったように感じました。
言っていることはわかるし、解決策としもなんとなく納得できるような気もするのですが、
人の気持ちが、ある瞬間を境にころっといっぺんにひっくり返ったような気がして、戸惑ってしまいます。
その戸惑いのまま、ハッピーエンドにいたるので、感動というより「ふーん、よかったね」で終わってしまったのが少し残念な気持ちです。
それから嘗ての三人の少女のこと。これは、別の物語でしょうか。彼女たちのこと(今のこと、過去のこと)ももっと知りたかったです。