風の靴(再読)

風の靴風の靴
朽木祥
講談社


『風の靴』が産経児童出版文化賞大賞を受賞したそうで、おめでとうございます!!
大好きな本を久しぶりに再読したくなりました。
(初読の感想はこちらです。重複は避けます)


初夏の気持ちのよい風に吹かれながら、たちまち海の上に連れ出してもらった気持ちになりました。
ああ、この爽やかな感動を味わいたかったんだぁ〜。


読み始めて、あちこち、かなり忘れていることに気がつきました。
大好きな本、と思っていたのに、こんなに短期間のあいだに、すぱすぱ忘れてしまったことにびっくり。
ま、それだけ、いつでも新鮮な気持ちで読書できるってことで、得したと思おう。


「今日がずうーっと終わらなければいいのに。」という八千穂の言葉のように、もったいないような夏の日でした。
せつないくらいに輝かしい一瞬一瞬。
おじいちゃんの不在により、わあっと単純に明るいのではなくて、染み入るような輝きを感じます。
いないはずのおじいちゃんの存在感が、おじいちゃんの大きさをよりいっそう感じさせます。
そして、やっぱりいないんだ、と思うと、
沸き立つような楽しさのなかにふうっと寂しさがまざってきて、やるせない気持ちになるのです。
現在の寂しさのまざった輝きと、おじいちゃんと過ごした一点のしみもない幼い日の輝きが、混ざり合って、
不思議な色合いの忘れられない夏の日がここにあります。
風間譲がここにいるのは、いろいろな事情があるけれど、
やっぱり、子どもたちのこの不思議な色合いに引っぱられたのじゃないか、と思っています。


わたしにとっては、まぶしくくて、どきどきするような三日間だけれど、
海生たちには、おじいちゃん仕込みの、幼いときからよく知っている輝かしさなんです。
そんな子ども時代があったことが羨ましいです。
海生たちは、小さいときの何の屈託もなく楽しみを享受できた日々を追体験しようとしていたのではないでしょうか。
もちろん過去は過去。
同じときを繰り返すことはないし、ハプニングなども起こるし、歳も違えば、連れも違うので、新しい体験になっているんだけど。
そうしながら、何かを引っ張り出そうとしていたのかもしれない。
なかなか表に出てこないで、引っかかっている何かを。
その何かを、あそんであそんで遊び倒した日々のなかに探そうとしていたんだと思う。無意識に。
そう思うと、小さいときに上等な幸福な時間をたっぷり持つことは、やっぱり大切なことなんだろうなあ、と思います。
海生たちがほんとに羨ましい。


それから、興味深かったのが、海生とおじいちゃんの本棚(蔵書)です。
本棚って、その人の顔みたいに思えることがありますよね。本好きなら、なおさら、人の本が気になったりするのかも。
最初のほうの、海生の本棚の描写に夢中になりました。
ぼろぼろになった本たちの題名のなんとわくわくすること。
ちょっとクラシックで、大きな夢がいっぱい詰まっているあれこれの題名。
こういう本で大きくなったんだ、何度も読んで大きな夢を育ててきたんだ。
そして、本棚を飾る本以外のあれこれにも。どれもきっと宝物。
それらは、流行や、移り気な安っぽさを遠ざけて、どの品にも、大きな物語があるはず。そのまわりにはきっと良い風が吹いている。
良い趣味、というより、
やっぱり小さいときから良い窓を持ち、良い風にいっぱいあたりながら大きくなった子なんだ、という気がするのです。
そして、一番下の段。海生が「さわるのもイヤ」な中学受験の名残り。
この本棚の中で唯一違和感のある段だけれど、やっぱり彼の一部なんだよね。
宝物ばかりに埋め尽くされた本棚の一部にこういうところがあるのが、好ましいのです。


最後のほうに出てきたおじいちゃんの本棚(アイオロス号の)も気になります。
やっぱり素敵な題名のラインナップに、未読本あわててメモします。
「エンデュアランス号漂流」がこんなところに!と喜んだのもつかの間、あ、思い出しました。
わたし、去年「風の靴」を読んだときに、「エンデュアランス号」という本を初めて知ったんだ。
それだから読んだんだ。
旅をする木」も。
自分の好きな本の実家(?)を思い出して、よかった^^
そうして、海生は、ほら、やっぱりおじいちゃん子でした。
本棚がこんなにも似ている! 
違う本が置いてあっても、やっぱり繋がるものがある。同じ憧れがある。


アイオロスの名の由来について語る場面、オデュッセウスとヨットレースの話が最高でした。
オデュッセウスに「敗因」インタビュー・・・想像して、くすっと笑ってしまいますが、笑いながらも、はっとするのです。
仲間・・・居眠りしちゃっても、「信じてやれ」と言ってくれる仲間。自分はだれかのそういう仲間であるかな。


ところで、
この本のすてきな鉛筆画の挿絵(見開きいっぱいに描かれた、三人と一匹を乗せて海に乗り出したウィンドシーカー号の絵が好き)
を描かれた服部華奈子さん。
巻末の作者紹介のところで、この挿絵画家の紹介文に、はっとしました。
どんな事情があるかも知らずに、こういうところに目を留めるのは失礼だとも思いましたが、
本文中の、進路に迷う海生への大きな励ましのように感じたのです。
そして、おじいちゃんの言葉と重なりました。
「おまえは、おまえなんだ。自分以上でも以下でもないおまえ自身を――大切に、生きていけ。」
この本は、物語と絵とで、
どこかで途方にくれてしゃがみこんでいる人たちを、その先にある風景へ導いてくれているような気がしています。


何度も何度も読み返すことになるだろう、と思って手許に買った本でしたが、なんと一年ぶりの再読でした。
本を開くとまだ新しい本の匂いがしていました。
でも、この本は持っているだけで嬉しくなっちゃう本なんですよ〜。(←言い訳)