のんきなりゅう

のんきなりゅうのんきなりゅう
ケネス・グレアム 原作
インガ・ムーア 絵
中川千尋 訳
徳間書店


あかるい夏の夕べ、草の上にすわって、詩の話だの、むかしの話だのをする大きなりゅうと少年のすがたがほのぼのといいなあ、と思います。
思い出すのは、絵本「はなのすきなうし」のフェルジナンドなのです。
こうやって、座っている姿はりゅうというより牛みたいで、か、かわいい^^


ところが、りゅうの噂を聞きつけて、りゅう退治で名高い聖ジョージさまが、村じゅうの歓呼の声に迎えられてやってきます。
友だちのりゅうのことを心配する少年ですが・・・


りゅうは悪い奴、というきめつけは、日本の鬼を思い出させます。
『おにたのぼうし』の「おにだっていろいろあるのに」という言葉を思い出します。
それから、『ないた赤鬼』を思い出します。


でも、もっと厄介なのは、村人たちの本当の気持ちです。
彼らは、りゅうが悪いか悪くないか、なんてことはどうでもよかったのです。彼らは退屈していたのです。
ちょっとしたお祭り騒ぎを期待していただけだったのです。
かわいい、のんびりした物語ですが、このお祭り好きの無責任さは、現実を皮肉っているようで、ちょっと奇妙な既視感。
しかし、りゅうが本当は悪い奴じゃないのだと知った聖ジョージは、少年といっしょにりゅうに会いに行きます。
ふふふ、これは楽しいな。
と、同時に、こういうやりかたが悲しい結末に繋がる日本のお話を思い出してしまって、ちょっと心配にもなるのです。


この本はもともと、ケネス・グレアムが大人のために書いたものを、挿絵のインガ・ムーアがアレンジを加えて作ったものだそうですが、
少しクラシックな絵がカラーでふんだんに収められていて、ほんとに美しい本なのです。
そして、この余韻。
イギリスの夏の夕べのひんやりとした空気の肌触りまで感じられるような気持ちのよさ。

>あしたのことはまたあした。きょうという日を、おもうぞんぶんたのしめばよいのです。
いい言葉だなあ。
一日を遊び倒して、疲れ果てて眠る子どもの姿をふと思い出して。


訳者中川千尋さんのあとがきも好き。いつまでも暮れない長い夏の夕方、イギリスの丘陵地帯を自転車で旅した思い出があるそうです。

>もしかすると、人が考える善や悪を超越した大きないきものが、夏のゆうべをたのしみ、太古の昔をなつかしみながら、いまでものんきに、ねそべっているのかもしれません。
今、日本は五月。
この気持ちの良い夕べに、イギリスの夏の空気を思い浮かべています。