水深五尋

水深五尋水深五尋
ロバート・ウェストール
金原瑞人・野沢佳織 訳
岩波書店
★★★★★


今年の新刊だというのに、しかもYA向けの本だというのに、この古めかしいタイトルは何だろうと訝った。読んでわかりました、このタイトルの理由が。このタイトルに篭められた思いも。水深五尋・・・。

第二次世界大戦末期。
チャスは、貨物船がUボートに撃沈されるのを見た翌朝、浜辺に流れ着いた(巧みに隠された)発信機のようなものをみつけます。
ひとりも怪しい人なんかいなそうなガーマスの港町。だけど、もしスパイがいるとしたら?
仲間達といっしょにスパイ探しが始まる。「機関銃要塞の少年たち」(感想こちら)から3年。チャスは16歳になっていました。機関銃要塞より大人になった分、やることも以前より緻密にして大胆、危険さもアップして、ああ、チャス、あんた何回死にかけた? そして、チャスの甘く苦い初恋も描かれるのです・・・
青春期に戦争があった。わたしたちから見たら、異常な環境ですが、渦中の若者にとっては日常でした。今更「たくましく」なんていうことも恥ずかしくなるくらいの日常。そして、彼らなりの愛国心に燃えて、この時代を生きていました。

怪しいものなんかいないはずの平和な町だなんて嘘ばっかり。
弄長けたおじさんやおばさんたち。町の片隅で生きる人たちが胸に篭めた波乱万丈の人生の物語。
一見静かな町に、こんなにたくさんの秘密が眠っていたのでした。
忘れられない幾多の名前。食料品店のカルナス、名も知らない質屋の女、閉じこもった未亡人、決して姿を見せないロウストリート(貧民街)の帝王ニコ・ミントス。そして売春宿の女主人ネリー・・・ああ、ネリー、大好き。

こうした魅力的でいきいきとした労働者階級(あるいはそれ以下)の人々に比べて、権力者たちの薄っぺらいこと。
胸のすくような冒険。息つく暇もないどきどきの連続。ああ、なんてなんておもしろい――そういう興奮のただなかに、権力者の薄く冷たい目が混じっていて、さっと棘が刺さったような痛みを感じます。労働者など、自分の生活を安定させるための取替え可能な道具に過ぎない、いいとこペットだ、と考える上流階級の人々。
貧民街の人々の怪しくも、どこか人のよさそうなイメージに比べて極端で、苛立ちます。
くっきりと階級差のある世界を、下のほうの人間の目から描いて見せてくれました。
そして、チャスは気づく。

>人生は闘いながらのぼっていくものだと、ずっとまえからわかっているつもりだったけれど、鳥のように自由にはばたいてのぼっていけるものと思っていた。ところが、シーラと出会ってから、人生は山のぼりのように思えてきた。頂上には、すでにそこに到達した重要な人たちがいる。どんなにうまく山をのぼっても、その仲間には入れてもらえない。そして、もしのぼり方を間違えれば、頂上からけおとされ、さんざんな目にあわされる。
そして、チャスの父親の、当時の首相チャーチルに対する批判的な意見は、労働者家庭に育ったウェストールの思いでもあったのでしょう。
イギリスの根強い階級意識を浮き彫りにしたようで、チャスの胸のすくような冒険やその成し遂げたことよりも、最後まで、苦々しさが残る。

親との確執や階級意識のちがいなど・・・ウェストールの作品のなかに混ざってくる理不尽さとそれに対して手も足もでない少年達の悔しさや痛み。
なかなか爽やかには終われない。
冒険小説、と見えて、実は、ここにあるこの苦々しさ。これに気がついて、これを抱えてここから始めようとする少年の思い。この気づきが、若者の、子ども時代との決別なのだ、と思う。

ただ、チャスが本当に知ってほしいと思っていた人たちだけが、そのことを知っていてくれたことが、うれしい。内容を知らなくても、彼が「なしとげた」ということを知っている人たちの存在もうれしい。そして、チャスが「永遠に変らないひと」として父を慕う気持ちが愛おしい。この確かさが、彼のこれからの道しるべにきっとなる。「クリスマスの幽霊」を思い出しました。