わたしたちが孤児だったころ

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)わたしたちが孤児だったころ
カズオ・イシグロ
入江真佐子 訳
ハヤカワepi文庫
★★★★


この本の表紙の写真を見たとき、ここはどこだろう、と思いました。
上海なのです。太平洋戦争前の上海の租界。
カバー裏の物語紹介の一部をここに抜粋すれば、

>上海の租界に暮らしていたクリストファー・バンクスは十歳で孤児となった。貿易会社勤めの父と反アヘン運動に熱心だった美しい母が相次いで謎の失踪をとげたのだ。ロンドンに帰され寄宿学校に学んだバンクスは、両親の行方を突き止めるために探偵を志す。・・・・
カズオ・イシグロの本はこれで3冊め(他の作品を読むのが楽しみです)。3冊ともまったくジャンル(?)が違う作品で、しかもどれもがおもしろくて、一体この作家は、どれだけの幅を持っているのだろう、と驚いてしまいます。


この本では、第二次世界大戦直前のロンドンと上海の租界の退廃的な社交界の雰囲気が魅惑的なムードをかもし出しています。そして、折り目正しい美しい文章で描かれる回想形式により、ノスタルジックな独特の雰囲気に、しばし酔います。


主人公クリストファーの回想は、大切な部分に触れそうになると、思わせぶりにあちらにとび、こちらにとび、読み手としては翻弄され、いらいらさせられ、でも先を知りたい、引っ張られるようにひたすら読みに読み、なんとも切ないラストシーンに到着するのです。
しかし、これは、ミステリでしょうか。ミステリだと思って読んだのですが・・・ラストまできて置いてきぼりをくわされて(文字通り孤児のような気持ちにさせられて)、主観(または自我)の脆さ、はかなさ、危うさに気がつき、なんとも心もとない気持ちにさせられました。
読み終えて改めて振り返ってみれば、翻弄された自分の茶番にあきれる。
客観的に見れば見られるはずのものを、わざわざ主観という色眼鏡をかけさせられ、思い込みと高ぶった感情の世界に誘い込まれていました。
うまいです(涙)


タイトルの「わたしたちが孤児だったころ」(when we were orphans)・・・「わたしたち」とは誰のことでしょう。この本に出てきたクリストファー、ジェニファー、サラ・・・三人とも孤児ですが・・・これは、読者も含めて誰にでもあてはまりそうです。(古川日出男さんの解説の一番最後のくだり「あなたは孤児になるためにこの物語を読むんだよ」に納得)


美しい楼閣が崩れ去る・・・戦争と言う非常事態、しかも多数の国の人々や文化が入り乱れる上海の租界を舞台に。華やかでしかもかなり胡散臭い。設定は上々。
わたしたちは、幼い夢の世界を出て寒々とした現実をしっかり見据えざるを得ないその瞬間、初めて自分が世界の中で「孤児」だと自覚するのかもしれません。