アラン島

アラン島 (大人の本棚)アラン島
ジョン・M・シング
栩木伸明 訳
みすず書房
★★★


訳者あとがきによれば、ジョン・M・シングが、詩人W・B・イェイツの勧めにより、初めてアラン島を訪れたのは1898年5月10日〜6月25日、27歳のときでした。

アラン島にほれ込んだ若き詩人シングは、その後、1901年まで、計4回に渡って通い詰めています。
大都市ダブリンの裕福な家に生まれ育ったお坊ちゃんのシングの目には、荒々しい自然も、そこで厳しい自然相手に生きる人々も、野趣豊かなひとつの「理想郷」と映ったのかもしれません。
風景を描く言葉は冴え渡って美しく、島カヌーに乗って漕ぎ出していく男たちの様子は活気に満ち、さまざまな思いをこめて歌われる老いた女たちの哀悼歌は物悲しげに響き・・・
シングは、それら一つ一つの島の営みに、素直に感動し、感動そのままに記録しているのが伝わってくるのでした。

100年前のアラン島。
妖精たちは、人々のすぐ側で暮らし、恐れられていました。ときどき子供や女性が不思議なやりかたで妖精に連れて行かれたり、取替え子が置かれていたり・・・
シングが下宿(?)した家の温かな炉辺。島では炉は大切に守られていました。
  >先祖代々の墓が辱められたときの中国人が受ける衝撃でさえ、
   イニシュマーン(アラン三島の真ん中の島)で
   暖炉が辱められたときのショックにはおよばないだろう。
炉辺での素朴な人々との語らい。その暖炉の上には、シングが置いていった置時計がまだあるかもしれません。だれかに「島のどんな雄鶏より正確に時を告げるわい」といわれながら。
その家の息子マイケルは、シングにとってゲール語の俄か先生でした。

本土に行かなければ医者がいないので、たいていの病気や怪我は、古来よりの知恵で直していたそうです。いざ、どうしても医者が必要になると、医者といっしょに神父さんもいっしょに呼んで来るのだそうです。二度手間を省くためだそうですが・・・ブラックユーモアではありません。現実だったみたい。
それほど切羽詰ったときしか(というより、もはや手の施しようもないときしか、医者の世話になることはなかったのですね。

島に伝わる昔話(たいてい妖精がらみ)もたくさん出てきました。
とくに物語の名手パットじいさんの話はどれもおもしろかったです。さまざまな国や地方に伝わる昔話の中に似たようなのがあったなあ、と思いつつ、でもちょっとずつ違うのですよね。どの話もよかったです。
パットじいさんの話は、その内容もおもしろいのですが、じいさんが語る、その場の雰囲気にわたしは酔いました。
  >おじいが話を語っているうちに、
   食堂兼居間はどこからともなく集まってきた人々でいっぱいになっていたのである。
   糸紡ぎ作業中の娘たちが手を止め、息をのんで話の先を待ちかまえた。

シングの時代から100年。アラン島もずいぶん変わったことでしょう。
この紀行文は、はるかな地へ私たちを誘うとともに、時間旅行にも誘ってくれた様に思いました。