『炎の中の図書館』 スーザン・オーリアン

 

炎の中の図書館 110万冊を焼いた大火

炎の中の図書館 110万冊を焼いた大火

 

 

ロサンゼルス中央図書館が(おそらく放火により)大火に包まれた。火と(消火の)水の犠牲になった本は110万冊だった。
この話を聞いたとき、著者は、なぜ自分はその話を今まで知らなかったのだろう、と思ったという。知らなかったのも無理はない。
図書館の火災は1986年4月29日で、チェルノブイリ原発事故の二日後のことだったから。
せいぜい報知器の故障だろう、くらいに考えていたのに、図書館がみるみるうちに大きな焔に呑まれていくのを、司書たちは、外から声もなく見守るしかなかった。


容疑者(その後、不起訴に)となった青年の性格とその環境のこと、図書館の歴史と代々の館長・図書館統括長、司書を始め職員たちの横顔、利用者たちのこと。建築家。もちろん本たちのこと。なんて盛りだくさん、なんて縦横無尽。話題は次々に移り変わりつつ、行きつ戻りつしつつ、徐々に全体が見えてくれば、これは、(図書館という名前の)不思議の国の地図ではないか。
地図のなかに描かれているのは、多くの、ユニークな人々の姿だ。


火災によって失ったものは膨大だった。それでも、この本を読んでいると、(とってもとっても乱暴な言い方だけれど)そこまで甚大な被害とは思えなくなってくる。
火は、図書館を焼き尽くすことは到底できないのではないか、と感じたのだ。
図書館を育て守り、その灯を決して消さない、という人々の強い思いが、図書館という大きな箱の正体かもしれない。
図書館は、ただの箱ではない。


差しはさまれる図書館と著者のつきあいの物語が心に残る。
「わたしは図書館で大きくなった」という著者は、幼いころから、お母さんに連れられて、図書館に通ったものだったが、大人になってすっかり遠ざかっていた。
あるきっかけにより久しぶりにロサンゼルス図書館を訪れ、図書館について書くことになったのだが、そのころお母さんは、認知症になっていたそうだ。
「母と二人で図書館に行ったときの記憶が、きのうのことのように甦った。それはすばらしいと同時にほろ苦くもあった。なぜならわたしがそうした記憶を再発見したとき、母はすべての記憶を失いつつあったからだ」
それでも、図書館は、(そこが著者が母と通った場所であるかどうかは関係なく)著者親子のことをきっと忘れていなかったのだろう、と思うのだ。ほかのだれのことも。
やはり……図書館は、ただの箱ではない。


「わたしのものではないが、わたしのもののような気がする、愛する場所のことと、そこで過ごす時間が恍惚とするほど特別なものだということについて語りたかった」という著者の言葉が心に残る。