『ねんてん先生の文学のある日々』 坪内捻典

 

ねんてん先生の文学のある日々

ねんてん先生の文学のある日々

  • 作者:坪内 稔典
  • 発売日: 2017/04/27
  • メディア: 単行本
 

 

「三月の甘納豆のうふふふふ」
「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」
この本のなかに少しだけ載っている坪内稔典さん--ねんてん先生の俳句は、易しい言葉、声に出したときの音が楽しくて、きっと忘れないだろうなあ、と思う。


難しいことに精通した学者さんが、難しいことをやさしく(誰にでもわかるように)書くって、難しいことなんじゃないか、と想像するのだけれど、ねんてん先生のエッセイも、ねんてん先生の俳句も、やさしい。


「文学はつまみ食いをすればよい」とねんてん先生はいう。
つまみ食いは、最初から最後までちゃんと読むべき、という見方に対する違反なのだという。
「違反するから逆につまみ食いは快楽の度を強めもする」という。大好きな本なら、快く楽しいつきあいをしたいもの、つまみ食いでもいいんだねえ、とうれしくなってしまう。
読んでわくわくすること。
「わくわくとは、さてどうなるのかという期待感であり、そういうこともあるのか、という驚き」であり、「私たちの日々を活気づけてくれる大切な要素」だという。


だけど、快楽も、わくわくも、それほど単純ではないことが、この本を読んでいるとだんだんとわかってくる。
たとえば、長塚節の『土』について、夏目漱石は自分の娘が年頃になった時に読ませたい、と書いていることをあげる。漱石は言う。「面白いから読めといふのではない。苦しいから読めといふのだ」
苦しいのをがまんして、あるいは、嫌なのをこらえて直視しなければならないものがある、と。ねんてん先生の「快楽」や「わくわく」は、そうして初めてたどりつくものの上にあるのだろう。
子どもの文学についても、きっとそう。
「子どもが一生懸命考えて『ああ、これだ』と分かるような難解さがあることが、本当に『やさしい』ことだと思うのです」と書かれていて、心に残る。


「老いてなお成長する」ことについて書かれたあとがきまで含めて、「うふふふふ」の奥の深さ広がりに畏れ入ってしまう。
この本の中で取り上げられていた本も少しずつ読んでいこう、と思っている。