『檸檬』 梶井基次郎

 

檸檬 (角川文庫)

檸檬 (角川文庫)

 

 

「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた」という、ざわざわするような一文から始まるのが、表題作『檸檬

檸檬』だけではなく、収められた14篇のどれにも、鬱鬱とした背景が見え隠れする。
肺病による体調の悪さや先行きの不透明さ、お金がないことなどによって。


暗いことこのうえないのだけれど、その暗がりを、本人が、どこか外からおもしろく眺めているような気配も感じた。自虐的なのかも。開き直っているのかも。
この本全体の印象として思い浮かべるのは、夜店の灯り。ちょっと寂しさが混ざった賑わいだ。


なぜだか「みすぼらしくて美しいものに強くひきつけられた」という、そのみすぼらしくて美しいものを、わたしも文章で楽しんでいる。美しくて暗いお伽噺のように。
勢いのあるのは向日葵やカンナの花ばかりという、ちょっと趣きのある裏通り。(檸檬
「星水母ほどに光っては消える遠い市の花火」。(城のある町にて
谷川のすさまじい瀬の音を、渓のなかで、大工や左官がワッハワッハと高笑いしながら不思議な酒盛りをしていているようだと、聞いていること。(闇の絵巻)
びいどろのおはじきを口にいれて、飴玉のように舐め、舌触りを楽しんでいた幼い頃の思い出。(檸檬
それから、もちろん、夜、そこだけ明るい果物屋でみつけた「レモンエロー」の檸檬ひとつ。(檸檬

 
みすぼらしくて美しいものだから、高価で豪華なものではないが、ときどき危険をはらんで、暗がりで輝く。時々、爆弾に変わるもの。


冷たくて、小さくて美しい爆弾。
それは、主人公の頭のなかだけにある。
折り目正しくお高いものたちの上に、破裂し、飛び散るはずの色の洪水。
その美しさを想像するだけの、ささやかで凶暴な、誰も知らない反逆なのだと思う。


……いや、もしかしたら、誰も知らないうちに破裂したのかもしれない。
ちょっと思い浮かべているのは、数多の色が欠片になって、この本のなかのそこいらじゅうに飛び散ったイメージだ。その欠片を拾い集めるように読んでいた。