『兵士たちの肉体』 パオロ・ジョルダーノ

 

兵士たちの肉体

兵士たちの肉体

 

 

2001年、タリバーン掃討作戦のさ中のアフガニスタン南部の前哨基地フォブ・アイスに、国際支援部隊として派遣されたイタリア陸軍。
物語は、軍医エジット中尉と、新しく派兵されたばかりのチャーリー中隊第三小隊のレネー准尉率いる27名の若者たちを中心に描かれる。
聞くに堪えないようなエロ話や、変な期待、弱い者いじめ。それぞれに夢だって野心だってある。覚悟はしているつもりだけれど、死なんて誰も本気で考えていない。
そして、彼ら一人一人の後ろには、故郷で待っている人たちが(時には捨て去りたい、なかったことにしたいものも)いる。
彼らの無事を祈る家族や恋人。あるいは残酷な復讐の機会を待っている者も。
それから、未だ見えないけれど、きっと将来現れるに違いない大切な誰か。
それぞれが、入れ替わり立ち代わり、舞台にのぼる。兵士たちは、この殺風景な岩陰の基地に半身を置きながら、残りの半身は、思い出の中の故郷に戻っているようだ。
行きつ戻りつする現在と過去とを読んでいるうちに、彼らの存在感はよりリアルになってくる。
これは、確かにひとつの青春記として読める物語だと思う。きついけれど。


兵士って何だろう。
戦場なんて知らない人たちが、快適な部屋のテーブルの上に広げられた一枚の地図の上に、ばらまいた駒の一個、一個。
その一個が失われた責任をとるのは、駒をばらまいた人ではない。そんなこと、その人たちは、忘れている。地図の上にあれこれ線を引くのに忙しくて。
私は、ふつふつとこみ上げてくるものを中途半端に飲み下す。今、私がいるこの部屋も快適で、傍らには湯気をたてているマグカップがあるのだから。


実際にあった事件が下敷きになっている、という、あの出来事。
物語には、それ以前と以後がある。
ことに、少ないページに凝縮された「以後」が。その以後の物語が忘れられない。
以前と、すっかり境遇が変わってしまった人たちと相変わらずの人たち。……でも、見た目では何もわからないのだ。
幾つかの台詞と、その陰から現れる鮮明な光景(物語?)とを、私は思い出す。

「我々は傷みに口を閉ざす、だって? “我々”って誰だよ? あんたはあそこにはいなかった」

「ここには大きな山がひとつあるんだ。木も草も一本も生えていない山。今はてっぺんが雪で覆われていて、雪と岩の境目はまるで線を引いたみたいにくっきりしている。ほかにも山は見える。でもずっと遠くだ。夕暮れになると、そうした山々が一つひとつ微妙にちがった色になって、まるで劇場の緞帳みたいなんだよ」