『郷愁のモロッコ』 エスタ・フロイド

 

郷愁のモロッコ

郷愁のモロッコ

 

ヒッピーの母親が幼い娘二人を連れてヒッチハイクでイギリスからモロッコへやってきて、おもにマラケシュを中心に生活する。
生活費は(ときどき滞りながらも)送られてくるので、ぶらぶらと暮らしている。だけど、送りてはだれなのだろう。うすうす娘たちの父親からのようだ、ということはわかるが、現在、その父親と母親が、どういう関係なのか、どういうとりきめなのかはわからない。


物語の語り手は、下の五歳の娘だ。
しっかりものの二歳上の姉ビーと組んで、思う存分、汚い言葉を使い、でたらめの歌をうたう。
大道芸の子どもとかけまわり、ときには、策略を練って、食堂の外国人客から食べ物をせしめようとしたり、やりたい放題だ。
母親(マム)は子どもを放ったらかしだし、全く頼りにならない。姉娘のビーのほうが分別があるように思うくらい。


現実離れした母親で、いろいろ危なっかしい感じだが、彼女なりに娘たちを愛し、おおらかに守っている。
また、一緒に暮らす母親の愛人たちも、本当の父親のように(あるいは叔父のように)娘たちを大切にしているのを感じる。
へんてこな暮らしだけれど、ひとの善意がしみじみと伝わってくる。
中には、ずるい人間たちもいたし、母のような暮らしを蔑む人間もいたけれど。
ホテル(アパート?)の隣人たち、物乞い、大道芸人、羊飼い、あるいは、通りすがりの旅行者、ヒッチハイカーたち……その日暮らしの貧しい人たちとの垣根のない付き合いが印象に残っている。
ときには、人を信じやすすぎるのではないか、と、はらはらしたりもするけれど、この子たち、幼いとはいえ、見かけによらず百戦錬磨の勇士でもあるのだろう。


読んでいると、ときどき、なんだか少し苦しくなる。
語られる一章一章が、儚い夢のように思えて。
それは、そうだ……彼らは、やがて、英国に帰る。
ロッコでのこの時間は、人生からおいてきぼりにされた閉じたユートピアのようだ。
ここでの暮らしはタイムポケットのように閉じていて、どこにも繋がってはいない。それとも、どこかに繋がることがあるのだろうか。
この閉じた空間が、ただ愛しい。独特の美しさがある。
作者自身の体験から生まれた物語とのことだ。