『マンドレークの声 杉みき子のミステリ世界』 杉みき子/戸川安宜 編

『マンドレークの声 杉みき子のミステリ世界』

 著者:杉みき子 / 編者:戸川安宣 

   発行所:亀鳴屋 / 2016年10月31日発行

 

童話作家杉みき子さんが、熱心なミステリ・ファンである事を初めて知った。
嘗てはミステリ誌の読者投稿欄への熱心な投稿者であったそうだが、その投稿文(?)も、この本には載っているし、二木悦子さんや鮎川哲也さんなどなどミステリ作家の作品に寄せた解説も、載っている。ポアロや亜愛一郎が登場するパロディ、『クリスティと遊ぶ』と題した言葉遊びなどもあり、(私は、固有名詞の羅列にもうお手上げだったけれど)ミステリファンなら、「ああ、あれは!これは!」と納得しながら楽しめたに違いない。


何より、書き下ろしを加えた11篇の創作童話を、ミステリ要素を拾いながら読んでいく楽しさ。
温かくて、少し寂しくて、不思議。高田という町の大きな懐に抱かれて安心の呼吸をしているような、杉みき子さんの世界だ。
これらの童話には、(今まで考えてもみなかったけれど)ちらほらとミステリのかけらが散らばっていることに気がつく。
それは、物語の間に隠された、まるで、子どものイタズラ跡のようだ。


『わらぐつのなかの神様』は、祖母が孫娘に「むかし……」と語って聞かせるお話であるが、叙述ミステリを意識して書かれていることを、編者・戸川安宣さんは『はじめに』で明かしてくれる。

『春のあしあと』の、最後に感じる空間の広がり、爽快感は、ミステリの謎が解けたときの解放感に通じていると思うし。

『マンドレークの声』は、ずっしりと押さえつけられるような暗さ冷たさが圧巻。
当たり前にそこにあり続けると思っていたもの、いついつまでも変わらない姿でいることへの(言葉にするまでもない)信頼が、突然揺らぐ恐ろしさ、凄み。
(先日来のニュースでの、個人宅への得体のしれない種おくりつけ事件に感じる気持ち悪さを思い出した。)
読み終えて、表紙の高野文子さんの絵を振り返ってみたとき、ああ、と思った。ひとつだけ開いた引き出しのある箪笥の絵。その引き出しの中の明るさ。これは、『マンドレークの声』の一場面なのだ。物語の途中に、ちらっと出てきた、あの小さな小さな(忘れてしまいそうな)場面が蘇ってきて、ほっとする。ああ、この場面があったよ、なんで忘れていたのか、と。『マンドレーク…』の怖さの根っこは、あの箪笥の引き出しの明るさにも繋がっていたんだ、と気がついて、遅ればせながらほっとしている。


杉みき子さんのエッセイ、ミステリ絡みの話も楽しかったが、子どものころ読んだ本の思い出が、心に残った。
子ども時代をふりかえり、(本にまつわる思い出は)「小学五年生という年齢に集中しているのです」という言葉。
そういえば、わたしも、子どものころに出会った本で、今でも好きなのは、ほとんど五年生のころに出会った本だと気がついた。


昔の、雑誌の投稿欄への投稿文は、肩のこらない楽しさ。
自由に好きなことを綴っている。
地方の小さな町では手に入りづらい雑誌を、確実に入手するための予約購読を、杉さんはあえてしない。なぜしないかといえば、そのもっとも大きな理由として「発売日前後にワクワクしながら本屋をのぞいて、アッ来てる!と思うその瞬間のスリルと感激」を味わいたいから、との言葉に、頷いている。お店で楽しみな本に出会ったときの弾む嬉しさを思いながら。