『あのころはフリードリヒがいた』 ハンス・ペーター・リヒター/上田真而子

 

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))

 

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1925年、一週間違いで「ぼく」とフリードリヒは生まれた。それ以来、アパートの上下にすむ二つの家庭は、家族ぐるみの付き合いを続けてきた。


フリードリヒの家族はユダヤ人だった。
最初から、差別の言葉はあっちからこっちから聞こえてはいた。でも、二つの家族の付き合いは変わらなかった。
ヒトラーが政権につき、加速度的にユダヤ人の迫害が激しくなっていく。
それでも二つの家族の付き合いは変わらなかった……
といえるだろうか。
こんなに激しく移り変わっていく社会、人々のなかで、以前からずっと変わらない態度でいることは、むしろ、「変わらない」とはいえないんじゃないか。
たとえば、「ぼく」がドイツ少年団に、フリードリヒを誘った日のできごと……
友が何かを言った時、何かをしたとき、それを見ている「ぼく」が何もしないですわっているのは、昨日ならどうってことなかった。
今日なら、たぶん少しばかり罪悪感を感じることになる。
明日なら、そうしなければ、自分の命さえも危険になるのだ。
昨日、今日、明日。
社会はどんどん変わっていく。当たり前に受け入れてきた正しさの基準さえ、おかしくなってしまう。
「ぼく」は、差別的な気持ちは持っていなかったけれど、「なぜ」と考えることは、あまりしていない。できなかったのかもしれないけれど。


巻末に年表が載っている。
「1933年1月10日 アドルフ・ヒトラードイツ帝国首相になる」から始まって、1945年までにドイツで何が起こったかが書かれている。
そして、物語は、この年表に呼応している。あの事件のころ、この法ができたころ、実際、この町に暮らしていたフリードリヒ一家と、「ぼく」の一家とに、どんなことが起こっていたのか……


「シュナイダーさんの息子(フリードリヒ)といっしょにいるところを人目につかないようにしてくれ。お父さんがこまるからな」
「気をおちつけてくれ! ぼくたち一家の不幸になるんだよ」
「ぼく」のお父さんが、ことごとに、ささやくように言った言葉だった。けれども、こんな言葉が出てくるほどに、彼らはもはや「不幸」だった。
告発を恐れて黙り込み、見て見ぬふりをする人びとの不幸が、この町のすみずみにまで溢れている。


ポグロムの章も心に残っている。
ユダヤ人の店や家が次々に荒らされる。猛り狂った「普通の人たち」によって。「ぼく」は、大勢の見物人の一番後ろからそれをぼうっと見ていた。
ただ見ていただけの「ぼく」が、いつのまにか前のほうにいて、いつのまにか金づちを握っていて、気がついたときは、あたりにあるものを、家具も、T定規もカーテンも……滅茶苦茶に破壊していた。破壊しながら陶然としていた。そこは、会ったこともないユダヤ人見習い工の寮だった。
その晩、「ぼく」は、同じアパートのフリードリヒの住まいが、普通の人たちに襲われるのを見る。友人一家が、なすすべもなく身を寄せ合っている姿を見てショックを受ける。
普通でいようとすることはもろい。
賛成でも反対でもない、静かに、賢く生きていこう……そんなことができるのだろうか。激しい嵐に飲み込まれる、足をすくわれる。いつのまにか嵐の中央にいる。そんなこと、本当は自分は求めていなかったのではなかったか。
金づちをもった「ぼく」も、フリードリヒ一家を見つめている「ぼく」も、わたしは恐ろしかった。とってもリアルで恐ろしかった。
自分はこの物語のなかの誰に似ているだろうと考えてしまう。
どの人も、惨めで不幸にみえた。