『ぼんぼん』 今江祥智

 

ぼんぼん (岩波少年文庫)

ぼんぼん (岩波少年文庫)

 

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小学三年生の小松洋は、兄の洋次郎とともに、プラネタリウムで、北斗七星の柄杓の形が、目の前で、どんどん崩れていくのを見ている。十万年後には、すっかり形を変えてしまう、という解説者の話に、二人の頭の中で、“ゼッタイに変わらぬはずのもの”がひとつ、静かに崩れた。


その年、洋の父が亡くなり、日本はアメリカを相手に戦争を始めた。
父亡きあと、遠縁の佐脇さんが「男衆」として一緒に住むことになった。
もう六十の佐脇さんは、一言でいえば、とてもかっこいい人なのだ。
度胸も据わって喧嘩も強いが、そんなそぶりは見せない。柔和な顔で、兄弟に気を配ってくれる彼は、二人にとって本当の叔父のような存在になった。
暗く厳しい時代、そして、思春期のただなかに入っていく二人には、佐脇さんはなんとも頼もしい相談役だった。


戦争が始まってから、どんどん軍国少年になっていく洋次郎が家の中で孤立するのを心配した佐脇さんは一計を案ずるが、それは事の是非を問うたり、説教がましい話をすることではない。
その顛末は、前半部分の大きな花で、大胆で楽しい冒険譚だ。
「洋次郎ぼん、ちゃんと生き延びて、ちゃんとええお嫁はんをもらいなはれや」


佐脇さんは、公平で、先見の明のある人だ。
心に残るのは、洋に日記をつけるように、と勧めるくだりだ。
ノートを買ってきて、紙が以前より悪くなっていることを確認させる。
「なんぼでもある、と思ってはるもんでも、のうなってしまいますのンや」
なくなるもの、たとえば「言葉」だ。
どきっとする。
なくなったり、意味が変わってきているように感じる言葉が、今の時代にもある、と感じるから。
「ぼんぼん、いつ何がなくなってしもたかを、つけとくよろし」


「灯火を黒布でおおわせ、着物をもんぺにかえさせ、門松を火叩きととりかえさせ、パーマネントを禁止し、ジャズを演奏させず、建物を強制疎開させた「力」も、花が咲くことをとめることはできなかった」
戦時でも、春になれば花は咲く。
この本では、(戦争の)暗い背景の中でも、あちこち、沢山の花びらが散っているようで、わたしは、それらを拾い集めるように読んでいた。


洋の友人のひとりの家にある禁制の音楽、陶磁器、お菓子。彼の父は「ええものはええ」という。
また、娘さんの婚礼のために、ある家具職人の父親が何年もかけて丹精こめた婚礼箪笥。
恵津ちゃんが庭の木々に一つ一つ下げていく光った玉飾り。
暗い時代であればあるほど、美しいものを渇望する人々の気持ちが心に響く。


二人の少年の、少女への淡い憧れも、花びらのようで微笑ましい。
幼馴染の女友達の家にでかけるのに、周りの目を気にして「えらい遠回り」をしていく洋。
洋次郎が忘れられないのは、薔薇の刺繍。学徒動員の工場で会ったその女学生は、作業用の軍手に、小さな薔薇の花を刺繍していたのだ。


洋を中心に、ふたりの兄弟の日々を読んでいると、思わず微笑んでしまいそうな場面にたくさん出会う。
澄んだ水の中から釣り上げる魚。麦藁帽子の群青色のリボン。洋次郎のベートーベン。「いわなみぶんこ」……
上から降ってくるものを、良いも悪いも関係なく受けとめるしかなかった子どもたちは、不自由な世界を当たり前のものとして受け入れ、それでも、屈託ない日々を、喜んだり悩んだりして精一杯生きていた。


洋は夜空の火星を見ているうちに、まわりの何もかもが消えて、自分と火星とふたりだけだと感じる。
別の日の別の時間に、京都の恵津子は上賀茂神社の大きな杉の木を見上げて、この木が過ごしてきただろう長い長い時間を想像する。
一瞬、二人の胸をよぎる「戦争のない世界」への憧れが切なかった。


物語は、終戦までの四年間が描かれるが、最後に、焼け野原の大阪(家を失い、人びとも失い、生き延びた人々のなかにはすっかり変わり果てた人々もいた)で、洋は、プラネタリウムでみた、形を変えていった北斗七星を思い出す。
「父の突然の死に始まって、兄弟にとって絶対に変わらぬはずのことが、いくつも変わってしまった」
「ふたりのなかで『戦争』というやつの顔が、はっきり変わって見えはじめたのだった」
少年たちが、子ども時代に別れを告げた時であっただろう。
巨大な北斗七星の大きく広がっていく柄杓の口は、何かを(なにもかもを)呑み込もうとしているようだ。